「大衆食堂の研究」発刊10周年、大衆食の会創始10周年記念
「サバの味噌煮を食べる」レジュメ復刻版
1995年10月19日第1回大衆食の会


(05年2月16日版)

「大衆食堂の研究」が書店に並んだのは、1995年7月だった。そして10月19日、第1回大衆食の会「サバの味噌煮を食べる」が、中野区JR東中野駅近くの「包(パオ)」で開催された。

当日、簡単なレジュメを用意した。それを、ここに復刻掲載する。

これは当時のOASYSワープロ専用機でつくってコピー、配布したものだ。その後、引越しはするし、機械は変わるしで、データをどこに保存したかわからなくなっていた。10周年を記念して、なんとかさがしだそうと決意、さんざんさがして、やっと、古いフロッピーディスクからコンバートしてCDに保存したなかに見つけた。ふんと、見つかってよかったよ。

しかし、どうも、当日くばったものにしては、最初のアンケート回答者の数が少ないような気がする。もしかすると、このあと追加改訂して、当日のものを作ったのかも知れない。

当日の様子は、大衆食の会通信95年12月18日で報告し、その復刻版は、すでに掲載してある。→→→クリック地獄

会場の「包(パオ)」は、その後、道路拡張にともなう移転でビルとなり、かつてのボロ家な面影は、まったくなくなったが、やっている人たちは、あいかわらずボロな雰囲気のままだ。→→→クリック地獄



さ、とにかく、力強くサバの味噌煮をくおう。

サバの味噌煮への一言(要約)

ミツナカさん
魚は、生でも焼いても煮ても好きで、サバの味噌煮が一切れあれば、ご飯を3〜4杯は食べられます。
……アア、おれも若いころはそうだった。ワカイコロは、ナ。(遠藤、以下同じ)

カワダさん
二〇歳の頃に、大ビンボーの時に安食堂で食べたサバのみそ煮のおいしかった事!感動ものでした。皿のみそまでなめる様に食べました。現在でも好きで、いろいろ工夫をこらしては食べています。みそ煮については一言以上、二言位あります。
……アア、おれも若いころビンボーで、たしかにサバの味噌煮をくうとビンボーでなくなったかのような、イイ気分になれた。いまもビンボーで、サバの味噌煮くってイイ気分になっているけど

モリオカさん
魚の皮はパリパリとした歯ごたえじゃなきゃーそう思う私にとって煮魚は苦手な分野。定食屋の定番メニューといえど、サバのみそ煮は縁遠い存在でした。
……アア、サバの味噌煮が苦手だなんて、不幸だ、この世の悲劇だ。でも、ないか。アレはたしかに、うまいかどうかはっきりしないくいものなのだ。ヘンなくいものなのだ。だけど、「うまい」と思ってしまう。アレは、うまいまずいは、舌と味覚の問題ではなく心理であり文化であるということを証明するのに、いいくいものだと思う。

ワタナベさん
渡辺淳一の作品に、サバの味噌煮が取りもつ男女の恋の話がありましたね、「題はわすれましたが…」
……アア、もしかして『化身』のことではないか。あれは、地位とカネをもった男は「ウブな女」を自分好みの「洗練された女」に改造したがるものであるというバブルな男の欲望をとらえ、日経新聞しか読まない「経済男」たちが夢中になって読んだという小説だ。だったら、あとで話題にします。

サバの味噌煮イロイロ

 聞き書きを県単位にまとめた『日本の食生活全集』(農文協)を調べると、サバの味噌煮がのっているのは、埼玉、千葉、神奈川、富山、兵庫、です。うち、つくりかたまで書いてあるのが、埼玉と富山。
 埼玉……秋さばを一寸くらいの幅に筒切りにする。だいたい魚屋が切ってくれる。熱湯の中に入れ、ちょっとゆでるくらいにして、ゆでこぼしをする。このとき、少し水気を残しておき、お酒と味噌を入れ、さっと煮ればできあがる。甘くしたいときは砂糖を少し入れる。
 富山……さばの内蔵と頭をとり、四つほどのぶつ切りにする。なべに水と味噌を煮たて、さばを入れてとろ火でゆっくり煮る。よく煮ると骨までやわらかくなる。この味噌をごはんにかけると、さばのうまみがきいてほんとうにおいしい。/薄く切ったしょうがを入れて煮ることもある。
 あとから味噌を入れるか、味噌味の中にサバを入れるか、さっと煮るか、よく煮込むかなどのちがいがあります。この伝承の味では、しょうがは必ずつかうものではなかった、というところに注目していいと思います。

 いま手元にある、NHK「きょうの料理」カラー版ポケットシリーズ『これだけは知っておきたい料理』(昭和五〇年発行)では土井勝が指導しています。長いので紹介できませんが、材料に、サバのほか、赤みそ、しょうが、だし、砂糖、酒、となっています。「ポイント」のところには「さばなど、背の青い魚は特に赤みそを用いること。赤みそを使うことで魚の生臭みが消えて味がよい」「骨つきのままで煮ると食べにくいので、上身にして煮るとよい」などとあります。これが、いわゆる、「プロ」「職人」のやりようということになるのでしょう。「生臭みが消えて味がよい」という評価は、生臭みを毛嫌いする最近の風潮の中では一般的かもしれませんが、「生臭み」をもっと賞味するぐらいのほうが活力ある文化という気がしないでもありません。ホヤの臭みなんか、もう、ふるいたっちゃいますね。こういう意見、やっぱりダメか。

 「おいしい料理、素早く・おしゃれに・ヘルシーに!」というキャッチフレーズの集英社の『たんと』九月号には「サバの味噌煮に腕まくり!」という記事があります。これも、しょうがや、おろした上身のサバをつかう、のでありますが、さらにごていねいに、「霜降り」というゆでる作業のあと、それを流水で洗いぬめりを落とすという作業があります。それから味噌煮にするのであります。指導は西麻布の「ゆず亭」料理長の川原渉さんとかいう人であります。ワタクシ、ここまでくると、バカヤロウそれがサバの味噌煮か! といいたくなるのですが、やめときます。(もう言っちゃったか) 

サバの味噌煮の不思議と可能性

 渡辺淳一の小説『化身』の女主人公里美は、はじめは、サバの味噌煮をくいにいきたがる女として描かれる。純朴な田舎者、美人だが垢抜けしてない女、都会暮らしを知らない女、都会の垢に染まっていない女……、マ、そんなイメージのためにサバの味噌煮がつかわれているようなのだ。

 サバの味噌煮の不思議のひとつはここである。
 どうあってもアレは、「ふるさとの味」「田舎の味」「家庭の味」のイメージなのである。ところが、おれが、はじめてサバの味噌煮をくったのは上京してからである。アレは東京のくいものなのだ。
 おれの田舎は、新潟県の六日町で、わかりやすくいえばみなさん御存知の川端康成『雪国』の舞台である越後湯沢に近いところだ。こういう山間部ではサバの味噌煮などはなかった。で、上京した一九六二年の初夏のころだったと思うが、新宿のションベン横丁の新星食堂ではじめてサバの味噌煮をくったときは、目の前のバットの中にころがっているサバの味噌煮を指差して、「コレなに?」と聞いたものである。

 で、これもサバの味噌煮の不思議なのだが。
 「サバの味噌煮」ときいた瞬間に、はじめてのくいものなのに、すぐ、味が連想できちゃうのである。はじめて食べるという緊張感がまるでおきないのである。うん、ナンカうまそうだ。そうしてはじめてくったのであるが、あれはとにかく「東京の貧乏人」がくうものであると思っていた。これはこれでそのとおりのようであったが。

 しかし、世間ではサバと味噌とくれば田舎者のくいものというイメージが強いのではあるまいか。
 これは、たぶん、サバの味噌煮はどうあっても「垢ぬけした料理」とはいいがたい、どんなに努力しても「垢ぬけた味」にならないからなのではないか、と想像できる。さらに、「垢ぬけた味」を、「上」「都会風」とみる視線がそこにはあるようだ。

 小説『化身』の里美は、男の手によってサバの味噌煮なんぞはくわない「洗練された都会の女」になるのだが、「田舎の垢」を棄てて「都会の垢」を身につけただけだ。「都会の垢」に染まると「洗練された」と評価されるというのも不思議だが、サバの味噌煮は、都会の垢に染まらないくいものなのかもしれない。

 それにしても、「サバも味噌煮」というのは「うまいくいものなのか?」という疑念は残る。「うまい!」といいつつ、まちがいなくうまいくいものである、と断定しきれない何かが残るのではあるまいか。
 文句なく誰もが確信もっていえることは「素朴な味」であるということぐらいのように思うし、それにしてもサバの油っこさを「素朴」といえるか、考えちゃうのである。だけど、やっぱりいいんだよなーと思ってしまう。
 これが、サバの味噌煮の最大の不思議なのである。
 この不思議の謎ときは、じつは、われわれのアタマを支配する「味覚文化」と「食文化」の解剖にまでいたる。ので、ここでやっているわけにはいかない。

 結論をいえば、どこか粗雑で荒々しさのあるものは「文化ではない」としてきたビョーキそのものの「日本の味覚文化、食文化」のゆきずまりを打開する手掛かりが、サバの味噌煮にはある。これは、かって、江原恵が言った「カレーライスの可能性」と通じるものがある。サバの味噌煮から、エネルギッシュなたくましい創造力のある暮らしと文化をとりもどすことができるはずだ、と思う。
 また、そう期待したい。


ザ大衆食トップ大衆食の会