ああ、1995年12月18日の大衆食の会通信

(この記事は、「ザ大衆食」の紙版1995年12月18日号を、一部改訂し掲載するものです。2002年7月25日記)

次回の「大衆食の会」お知らせ、をみなさん待ち焦がれているのではないかと思い、とりあえず連絡します。なにしろ『大衆食堂の研究』発売以来、押すな押すなの参会申し込みで、以前のように「今度はかめさん食堂に集まれ! 」というぐあいに簡単にはいかなくなっちまった。というのは、もちろんウソです。

「押すな押すな」のはずはない。本はちょっとずつしか売れてないし、したがって申し込みもちょっとずつだ。しかし、確実にジワジワ増えている。ので、やっぱり以前のように食堂の一卓に勝手に集まるというようにはいかなくなったし、是非ここはとおもう食堂は他の飲食店のようにカネさえ払えば予約も貸切りもできる、なんてぐあいにはさすがにいかないのであります。

考えてみると昔から、庶民の飲食店では、予約や貸切りなんていうナマイキなことは通用しなかったのだ。食堂とも相談し、なんかうまい方法はないかいなー、とやっているうちにどんどん月日はたってゆく。

歯医者から「酒を飲むな! 」といわれているため、そんなこと言われたって飲まないですむはずないが、思う存分のめない。すると、いいアイデアも浮かばない。ナゼカ焦る。そこで、とりあえず、大勢が一度に集まるのはチョット先のことにして、以下のように適当にお集まりいただくことにしました。

ま、はやい話、遠藤が食堂へ行く日においでいただきたい、ということです。
●12月22日(F) PM5:00〜8:30 竹屋食堂に遠藤はいます。都合のつくかたはどうぞ。
● 1月20日(Sa)PM1:30〜4:00?(あるいは閉店8:30まで) この日この時間帯は竹屋食堂を占拠しても大丈夫だと思いますので、なるべくみなさんゲットしましょう。新年会をやってしまいましょう。
● 1月26日(F) PM7:30〜?   常盤食堂に遠藤はいます。都合のつくかたはどうぞ。
● 2月 4日(S) PM2:00〜3:00 常盤食堂に遠藤はいます。都合のつくかたはどうぞ。
● 2月23日(F) PM5:00〜8:30 竹屋食堂に遠藤はいます。都合のつくかたはどうぞ。
とりあえずこんなところです。どのみち遠藤は行っていますので、都合のつくかたは、必ず、前前日までに、遠藤まで連絡ください。参加人数により集合のしかたを決めます。また竹屋食堂の場合は、都合のつく時間の随時参加でもけっこうです。常盤食堂の場合は混み合う店なので、あまり長居はできません、なるべく始まりの時間にあわせて参加するようにしてください。なお、 1月20日の竹屋食堂は全員集合ぐらいのつもりでやりたい。どのばあいも費用は、それぞれ現品引きかえで払うだけです。それじゃ、お楽しみに。
●それにしても遠藤は、月に一回山仕事に行くのと週に一回歯医者に行く以外、ヒマ。これ以外の日時でもつきあうことが可能です。お一人様からでもよろしいです。遠慮なく、いや、ヒマをもてあましているので是非、ご連絡ください。ただしカネのない日は御勘弁ねがうことがあります。

10月19日の「サバの味噌煮を食べる」は、とても和気あいあいのうちに、かんづめ・冷凍食品・手製(パオのヤスさん作)のものを、それぞれ無事に食べおわりました。思いつきと勢いだけでやる遠藤が企画したことですので、連絡が突然すぎて出席できない方がおられましたことをおわび申し上げます。なにぶんヤツの辞書には「計画」と「反省」と「責任感」という言葉がありませんので、みなさんどうかお腹立ちのないようくれぐれもお願いいたします。
●場所=中野区東中野のパオ 出席者(敬称略)=O田、K田、K良、N野、N崎、M岡、S岡、遠藤 会費=2500円 記=7時頃からビールを飲みながら食べ始める。かんづめ、冷凍食品、手製を同じ皿に盛って食べ比べた。冷凍と手製の判別がつきにくい。料理と味より「今年はサバが高い」と、値段のことに話が集まった。それぞれのサバの味噌煮や食堂の思い出を話したり。ごはん、お新香、味噌汁で仕上げ、9時すぎ二次会へ。あとは酒飲んでにぎやかだった。西日本の家庭ではサバの味噌煮はあまりくわれていなかったのではないか、関東のくいものではないかという意見があった。実際はどうか興味あるところ。

●当日の資料にものせましたが、「サバの味噌煮への一言」の要約を、その後の分も含めて紹介します。ひきつづき、まわりに「一言」あるかたがいたらご連絡ください。

・Mさん=魚は、生でも焼いても煮ても好きで、サバの味噌煮が一切れあれば、ご飯を3〜4杯は食べられます。

・Kさん=20歳の頃に、大ビンボーの時に安食堂で食べたサバのみそ煮のおいしかった事!感動ものでした。皿のみそまでなめる様に食べました。現在でも好きで、いろいろ工夫をこらしては食べています。みそ煮については一言以上、二言位あります。

・Mさん=魚の皮はパリパリとした歯ごたえじゃなきゃーそう思う私にとって煮魚は苦手な分野。定食屋の定番メニューといえど、サバのみそ煮は縁遠い存在でした。

・Wさん=渡辺淳一の作品に、サバの味噌煮が取りもつ男女の恋の話がありましたね、「題はわすれましたが…」(遠藤注:たぶん『化身』のことでしょう)

・Oさん=好きです。大銀食堂やたかさごでよくたべていました。でも大銀のはさめたものが出てくるのでたかさごの方がよかったです。さめた煮魚を食べているととてもさみしくなってしまうのです。

・Nさん=さばの味噌煮をはじめて食べたのは小学生のころだった。おやじが酒のサカナに食べていた缶詰のつまみ食いしたのだが、うまいまずいをこえたところにある強力なインパクトがあった。

『大衆食堂の研究』の過激な反響というのはスポーツ紙流の表現になりますが……。こんなところ。
●「日刊ゲンダイ」 9月 8日付(7日発売) 話題の本・著者インタビュー。見出しは「大衆食堂でメシを食うのは< 大人への通過儀礼> だった」。記者がわざわざインタビューに来て写真を撮っていったのに、掲載された遠藤の写真は別人のものだった、というオマケがついた

● 9月26日文化放送「吉田照美のやる気まんまん」に生出演。当日のラジオ番組には「男運の悪い女は大衆食堂へ行け」とかあった。ナンジャコリャ、そんなこと打合せではなかったぞ、大衆食堂の男だって女を選ぶんだぞ、と思ったが。でも、吉田照美に負けずにシャベリ抜き、いまでも「アレ聴いていました、とてもおもしろかったです」というひとに出会いビックリするのだが、だいたい誰も本までは買っていないのでガッカリする

●「週刊ポスト」10月20日号の書評欄に「清貧の食卓」の編者であられる評論家の山本容朗氏の評をいただく。「恨みっこなしのアンチグルメ本」というタイトルがついていた。こちらは昨今の「上品・高級ぶったグルメ」をののしった覚えはあるが「アンチグルメ」ではないと思いつつ読む。ま、見出しは興味を引くためのものだからどうでもいい。さすがに評論家の先生は眼がちがう。「読み方によれば、この著作は、型破りの東京同化ストオリーだろう。だが地方出身者には何かシコリが残る。それを癒してくれるのが大衆食堂だと読み手はそう勝手に解釈できる」とある。「田舎者」にこだわったところを鋭くつかれた感じ。コワイ。評論家先生とはつきあいたくないものだ。で、お礼かたがた山本先生には、あれは「東京に同化しきれなかった田舎者の弁です」と

●「週刊プレイボーイ」11月14日号特集記事で4 ページ。遠藤の署名原稿で「男なら『大衆食堂』でメシを食え! 」ときた。読者アンケートの結果 7位。ちょうど竹屋食堂で昼から酩酊しているところに編集担当の吉良さんから電話があって、「7 位ってすごいんですよね」「すごいんです、すごいんですよ」「またやりましょう」ってなことを大声でわめきあっていたような記憶が酒精のかなた春霞たなびくがごとく。吉良さんは、とてもいかがわしい食堂を見ると「そそられるナー」と言う。とてもいい表現で気に入ったので、使っています。でも、食堂の前で「ウーン、そそられる」と声をあげるときには、まわりに女性がいないことを確かめなくてはね

●読売新聞社が気合を入れて創刊したとかいう『月刊KITAN 』の創刊 3号目の12月号の特集に「トラッドな外メシ屋の達人になる」というタイトルで6 ページ分の記事を構成・寄稿、食堂の写真撮影もコーディネートした。竹屋食堂は朝の 8時半からやっているので10時ごろに撮影をセットした。その朝、戸をカラリとあけたら、スゴイ、もうみんな酔っている。狭い店がうなっている。上を通る電車の音も聞こえない。こちらにはほとんどしゃべらせてくれない。ついには奥野さんというオバサンと声を合わせ何十年かぶりで「十日町小唄」をうたってしまった。いい朝、いい写真が撮れた。しかし、文章の方は、三十代の『サライ』の読者を意識しているのでと注文があり、いつもの下世話な調子ではなくチョットばかり気取らなくてはならなかった。おれだって気取った文が書けるんだゼ、ってところだ。──以上、コピーをご覧になりたいかたは遠藤まで連絡ください。

『大衆食堂の研究』外伝 ●本では「たぬき食堂」のオバサンが危篤という感じになっている。あの直後の今年の 3月に、お亡くなりになりました。合掌。オジサンは一時食堂を止そうと思ったようですが、昼の時間帯だけでがんばっている。近くへ行ったら立ち寄って励ましてください。といってもなかなか元気なおじいさんなのでこちらがいろいろ勉強になる話を聞かされちゃいますが。ショーウインドウと店内には、「週刊プレイボーイ」の記事がコピーしてバーンと貼ってある

●「大衆食」について質問を受ける。誰がどう使いはじめたのか知らない。ただ、寺山修司の「裏町紳士録5 サラリーマン 歩兵の思想」に「ライスカレーとラーメンとの時代的考察をしてみようと思いはじめた。/この二つの食物は、ともに学生やサラリーマンにもっとも身近なものであって、これに餃子を加えると大衆食『三種の神器』になる」とあります。ここに「大衆食」が登場している。1967年の作

●ラーメンといえばM岡さんの専門ですが、「ラーメン学」的には日本人はふたつのタイプにわかれるという説がある。はじめてのラーメンが、家庭で食べたインスタント・ラーメンである人と、飲食店や出前のラーメンがはじめての人とである。どちらがどうだというの、考えてみて。それにしても日本人が麺類を好むのは「口唇期」型の民族だからで、この嗜好はナルシストになる確率が高い、とか

●ところで大衆食堂の思い出をいろいろ耳にするようになった。サラリーマンになりたてのころ、食堂の娘に惚れて通いつめ、ついに結婚してしまったオジサンがいる。それがなんと、妹に惚れたのに、食堂のおやじから姉が片づかないのに妹をやるわけにはいかないといわれ、姉の方と結婚したというのだから、たぶんどちらでもいいほどいい姉妹だったのだろう。また結婚の申し込みにいった当初は「食堂あたりでメシくっている貧乏人に娘はやれない」といわれたそうだ。彼は一念発起し、家を建て娘を迎えた。この夏、銀婚記念かなんかで家族でハワイ旅行したという。

『大衆食堂の研究』を読んで元気づけられたという●こんな手紙もある。──私も20数年前、水道橋駅西口近くの「サボォィア」という喫茶店に住み込みで働きながら学校に行く田舎者でした。その近くに「稲毛屋」さんという食堂があり、ツケで食べさせてもらっていました。まだあるかどうか分かりませんが、そこのお兄ちゃん( もう年とっておられると思う) など色々なつかしく思い出しました

●みなさんのまわりにいるオジサンオバサンなどに、昔の食堂の思い出などを聞いてみてください。こんな話がたくさんあるはずです。そして、できたら、その食堂の場所と名前なども、お知らせください。
●年内、遠藤は25日まで営業、新年は5日から。良い酔いお年をお迎えください
●これから東京暮らしをはじめる人達がふえる季節だ。「大衆食堂のメシ食え」と『大衆食堂の研究』をすすめましょうね。

大衆食の会