ギョギョギョ、ギャオー、これが生まれ変わった[パオ]だ

『大衆食堂の研究』発売後初めての1995年10月19日、記念すべき大衆食の会の会場になった、ボロのパオは、2001年5月新築なった。
パオ


東京都中野区東中野2-25-6

(2001年5月記、2002年7月25日改訂)

ここが、一年数ヶ月半かけて新築なった[パオ]だ。かつての、あのボロ家の屋根に遊牧民のおうちであるテントのパオがつきだしている異様怪奇に、出入りのスタッフもただならぬフーテン風の、なにやら怪しい光景はきれいになくなった。

1995年10月19日のことだった。ここパオにあった、理解定義不能の中庭風食堂的青空空間で、大衆食の会が発足して初めての集まり、「サバの味噌煮を食べる」をやったのだった。『大衆食堂の研究』の最後に書いてあるように、パオには大衆食の会の連絡先になっているミズ・Sカバブ焼き嶋岡尚子さんがいて、彼女とパオのスタッフの自作のサバの味噌煮と冷凍のサバの味噌煮と缶詰のサバの味噌煮を食べくらべた。たぶん将来は、大衆食の会発足の地の記念碑をたてることになる場所である。

あのころすでに、この写真の手前に写っている山の手通りこと環状6号の拡張がきまっていて、パオのボロ家もこれにひっかかることがわかっていた。

ま、そういうわけで、あれやこれやのありゃさっさで、あの貧乏放浪者風クレイジー世帯が、こんなぐあいになったのである。敷地が狭くなって、上にのばしたということになるが、それにしても、あのパオからは想像つかない建物ではないか。しかし、おれが、こうしてインターネットをやっているように、想像つかないことはいくらでもおきるのである。

開店の予定が何回ものびのびになったけど、去る5月17日にのぞいてみたら、一階部分はもう内装が大方すんで食器類をはこびこんだり絨毯を干したりだったから、こんどこそ間もなく開店だろう。はたして、あのおかしなおかしなパオの連中は、ここでなにをやってくれるのだろうか。期待しよう。

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