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ブログ版日記


美術同人誌『四月と十月』に連載のエッセイ「理解フノー」と、四月と十月同人の画家・田口順二さんの絵のコラボ。

四月と十月文庫7『理解フノー』

鎌倉のインディーズ出版社、港の人から2016年10月発刊)




この本は、ちょっと変わった試みをしている。本書の扉にある編集部の文を引用しよう。

……………

 本書は、二〇〇八年十月より美術同人誌『四月と十月』で連載した遠藤哲夫の「理解フノー」を加筆修正してまとめたものです。
 また文中の絵とキャプションは同誌の同人の画家・田口順二によるものですが、本文の内容とは無関係にアトリエで描かれていた作品から選び出したものです。したがって、絵と文はそれぞれ独立しており、この本のなかで同居を試みました。

……………引用おわり。

つまり絵と文は、まったく別々につくられたものなのだ。それを合わせることで、ますます「理解フノー」が広がった?

扉を開くと、『「理解フノー」の始まり』という見出しがあり、その書き出しは、こうなっている。

『「理解フノー」という自分でも理解フノーなタイトルは、二〇〇七年七月二十五日の夜、岩手県釜石の呑ん兵衛横丁の通りから始まった。』

呑ん兵衛横丁の写真を、ここに載せておく。この前で「理解フノー」を叫んだのが始まりなのだが、そのときはもちろん、これが連載のタイトルになったり本のタイトルになるとは思っていなかった。ただ酔っていたのと、それから、この呑ん兵衛長屋の中ほどの店から酔っぱらって肩組んであらわれた2人の若者と出っくわさなかったら、「理解フノー」は生まれなかったかもしれない。まっこと、人間社会は理解フノーだ。



この呑ん兵衛横丁は、海に近い低地にあり、2011年3月11日の東日本大地震の津波によって根こそぎ失われた。この夜に呑ん兵衛横丁のあとに入った店も無くなった。

呑ん兵衛横丁のあとに入った店で、おれは「手のひらを太陽に」の「ぼくらはみんないきている…」のメロディにのせて、「ぼくらはみんな理解フノー、生きているから理解フノー」とうたっていて、それがしばらくクセになった。

本書の詳細は、港の人のサイトをご覧ください。
http://www.minatonohito.jp/products/191_01.html

もくじは、このようなアンバイになっています。エロあり政治ありです。

「理解フノー」の始まり/ウマソ〜/健康と酒と妄想と/右と左/何もしなくていいじゃないか/かわいいコワイ/あとをひく「つるかめ」の感傷/わが「断捨離」歴/五十年目のタワゴト/十年後/「文芸的」問題/『四月と十月』からエロへ転がり/クサイ話/七十二と七十/ダンゴムシ論/フリーライター/気取るな! 力強くめしを食え!/坂戸山/  僕の遠藤哲夫  田口順二

「ウマソ〜」は熊や猪を獲って食べる人たちの話。「クサイ話」は、警察のスパイの濡れ衣を着せられ除名になった日本共産党員だった父。「ダンゴムシ論」は、「分解者」としての生き方と生きる場のこと。などなど、人間のなすことの理解フノーとおれの理解フノーな「それゆけ30〜50点人生」のあれこれ。

よろしくね。

本書を読んで、「ぼくらはみんな理解フノー、生きているから理解フノー」を、うたいましょう。
ますます「理解フノー」な感じになるでしょ。

ぼくらはみんな 理解フノー
生きているから 理解フノー
ぼくらはみんな 飲んでいる
酒を飲むから 酔っている
千円札を太陽に すかしてみたら
一万円に見えた もっと飲めるぞ〜
あいつだって こいつだって
おてんとうさまだって
みんなみんな飲んでいるんだ
理解フノーなんだ〜

出版記念パーティーでは、みんなで歌って盛り上がった。もう、なにがなんやら、ほんとに理解フノー。



ブログ「ザ大衆食つまみぐい」もご覧ください。
2016/10/26
『理解フノー』にいただいた、お声。
2016/09/02
四月と十月文庫『理解フノー』(港の人)の再校が終わった

こちらもご覧ください。当サイト内。
『大衆めし 激動の戦後史』…もくじと「まえがき」「あとがき」の一部…クリック地獄


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