ゲッ「ぶっかけめしの悦楽」

『ぶっかけめしの悦楽』は、発売以来、新聞や雑誌でけっこう話題になった。しかし、そのわりには売れんぞ。ま、みんな貧乏人だからしかたないか。

明治以後の「高尚趣味」の偏見と横暴のなかで失われた汁かけめしの歴史を発掘し、その流れにカレーライスを位置づけた。料理とは何か、料理の歴史とは何かの、本質にふれることがふんだんに下品にのべられている。

口上はこれぐらいにして。とりあえずは旧聞になるので恐縮だが、御存知ないかたも多いので、この本の書評や紹介をここにまとめておこう。

1999年11月21日 読売新聞 記者が選ぶ
1999年11月23日 文化放送 吉田照美のやる気マンマン
2000年1月号 レモンクラブ 南陀楼綾繁さん 塩山芳明さん
2000年1月号 本の雑誌 新刊めったくたガイド 高野ひろしさん
2000年1月20日号 サライ 住友和子さん
2000年2月号 散歩の達人
2000年1月23日 北海道新聞 訪問(西日本新聞にも同文転載)
2000年2月3日号 週刊文春 著者との60分
2000年2月4日号 日経ビジネス 話題の書
2000年3月号 本の雑誌 今月のお話 椎名誠さん

2004年7月 大幅加筆してちくま文庫から『汁かけめし快食學』として刊行

読売新聞 1999年11月21日 記者が選ぶ


海苔(のり)をモンゴルで食べて「黒い紙なんか食うな。山羊(やぎ)じゃないんだ」と諭された。ドミニカでカップラーメンを食ったら「スプーンを使わないのは下品」と、たしなめられた。"カルチャー食(ショック)"は、しかし国内でも体験する。新婚時代、みそ汁を飯にかけたら蔑(さげす)みの視線に遭い、深く傷ついたものだ。<ニッポン人なら、忘れるな! 深く食べろ!>という帯の惹句(じゃっく)に、積年の恨みを晴らせそうだと直感した。<熱く、かけめしを思いおこそう>で始まる奇書のテーマは、<インドを御本家とする疑惑にみちたカレーライス伝来説>を根底から覆すことにある。成否は読者の評価に俟(ま)つとして「うまいものは、うまい」という、今どきのグルメが持たないまっとうな「思想」がある。飯に汁をかけて食う行為が、異なる者に対する「排除」や「差別」と対極にあることにまで思い至った。留飲が下がったので今回はチト褒めすぎたか。(酊)

文化放送 2000年11月23日の「吉田照美のやる気マンマン」


こりゃ生放送だから、ここに紹介できないな。『大衆食堂の研究』のときに続いて2度目の生出演。「不景気で不愉快なことが多い時代だけど、ぶっかけめしで痛快にやろう」とおれ。「気取るな、ぶっかけろ」とマイクにむかって照美さん吼える。放送原稿になかった、シチューをめしにかける話がとびだしたり、みんなけっこうやっているね、好きだね。

レモンクラブ 2000年1月号


(あの『嫌われ者の記』の塩山芳明編集長のエロ漫画誌に、1ページまるまる書評がのった。長いから省略)。書評は南陀楼綾繁さんによるものだったが、塩山編集長ご本人は、インターネット上の『嫌われ者の記』に、こう書いている。

帰りの上信電車で『ぶっかけめしの悦楽』(遠藤哲夫・四谷ラウンド・本体1500円)。面白い所もあるが、”ボタタチ”等、嫌味な表現やカタカナの乱用がムカつく。編集が改めさせるべきだったんじゃ?

本の雑誌 2000年1月号 新刊めったくたガイド 高野ひろし

遠藤哲夫『ぶっかけめしの悦楽』(四谷ラウンド一五〇〇円)は、その書名からして一目瞭然。読む前から何を言わんとするのか、そしてそれに感覚的に賛成出来そうな自分が見えてくるのだ。卵かけ御飯にしても、味噌汁かけ御飯にしても、汁かけめしってのは品の良い食べ方とは言えない。だからといって汁かけめしを貶められても「別に良いじゃん、美味しければ」と僕は思うけど、著者はそうは思わない。汁かけめしを笑う者は、正しい生活を否定する者に他ならないぞと力説する。この愛すべき汁かけめしの歴史、文学に表れた数々のレシピをちりばめつつ、よくもまあこれだけ言い分があるもんだと感心する、というよりついつい笑ってしまう。カレーライスが、段々日本食に思えてくるもんね。でもでも汁かけめしにかこつけて、姑息なグルメや情報に惑わされた料理へのイメージを打破しようという野望も、見え隠れするのだった。

サライ 2000年1月20日号


味噌汁ぶっかけめし、冷や汁かけめし、とろろめし、丼物……数多(あまた)あるかけめしは、味噌汁が登場した室町時代に始まつた。日本のカレーライス誕生の真相も、実はかけめしの系譜にあるという。《楽しい、旨いと感じる正しい食の姿がここにある。気取るな、力強くめしを食え。庶民の自由闊達(かったつ)な舌と精神から育ったかけめしの全貌に迫る。(住)

散歩の達人 2000年2月号 日本人が忘れかけた「豪快に食う」魅カを再発見する


味噌汁をドバッーとめしにかけてガバガバ食い、「あ〜、うめえ」と声を上げる──これは果たして下品な食べ方だろうか? そんな疑間から生まれた、ぶっかけめしを巡る歴史的考察の書。日本人が米食を始めて以来、各地方でさまざまに発展し、しかし、なぜか今に伝えられていないその魅力を古今東西の文献から緻密に考証する、興味深い一冊だ。

北海道新聞 2000年1月23日 訪問(このインタビュー記事は、後日、西日本新聞にも掲載になった)


「ぶっかけめし」─ご飯にみそ汁をかけただけの食べ物。多くの人に経験があるはずだが、うまさのわりに日の当たらない存在だ。いわく「下品」「犬の食べ物」。そうした偏見に立ち向かう遠藤さんの情熱が、本書を生み出した。

「書き始めた動機はカレーです。インドが発祥とか、英国から伝わったとかいわれますが、今のカレーライスは日本独特のもの。立派なかけめしの一種です」。もともと企画会社にいた遠藤さんは一九七〇年代から食品のマーケティングに携わり、カレー関係の本を読みあさった。その結果、カレーがインド伝来説に偏っていると感じ、日本のカレーのルーツ=かけめしの世界を探るようになった。

遠藤さんが選ぶ「三大かけめし」は、カレーライス、とろろめし、宮崎の郷土料理の冷や汁。ほかに森瑶子さんの「ヨロンどんぶり」、池田満寿夫さんの「目玉焼どん」も紹介されるが、これら各種かけめしの根源も十六世紀以来の汁かけめしにある。「カレーライスが国民食ともてはやされるのに、ぶっかけめしが料理とも文化ともみなされないのはおかしい」と憤る。

遠藤さんが称揚する日本的カレーは、最近少なくなった黄色いカレー。 「権威にはなれないし本場にもなれない、それでいい。カレーライスは西洋料理とインド料理のおかげでここまで来たのではない」と書く。「おれ」の一人称と歯切れのいい文章。「主観と体験で書いていますから。学者のやらないことをやらなくては意味がありません。まさに身体で書いた本だ。

「うさんくさい、いかがわしい、と見られるものにこそ人間的なものがあるのでは、と思うんです。表面だけ小ぎれいになった社会から一度、開き直ってみたらいい」。現代への強烈なアンチテーゼである。

二年前に「食堂をいかがわしさの度合いで格付けした」という初の著書「大衆食堂の研究」を出した。その魅力にひかれた面々で作る「大衆食の会」代表を務める。例会では、約五十人の会員が大衆食堂に集まって飲み食いするのだそうだ。埼玉県在住。五十六歳。

週刊文春 2000年2月3日号 著者との60分

1ページで長いからコチラ


日経ビジネス 2000年2月4日号 話題の書


今や国民食の代表と言われるカレーライスは、一体どこから来たのか──。インドが「本場」で、英国から伝来したというのが通説になっているが、本書の著者は室町時代の武士が始めた“汁かけ御飯"以来の、日本固有の食文化から生まれたものだという持論を展開する。

確かに、日本人にとって「かけ御飯」は馴染み深い。例えば、礼儀作法上では下品で粗野な食べ方と非難される味噌汁かけ御飯や、鰹節と醤油を熱い御飯にかけただけの「猫めし」は、誰もが一度は食べた経験があり、そのおいしさを覚えているはずだ。アサリのむき身とネギを使った江戸の深川丼、九州・宮崎の冷や汁など、郷土ごとに様々な「かけめし」も存在する。

かけ御飯の進化の過程を辿り、「旨味のある汁、そこに味噌をとけば味噌汁、醤油と片栗粉をとけばあんぺい汁、カレー粉と片栗粉や小麦粉をとけばカレーである」とカレーライスの本質を説く著者。かけめしに焦点を当て、日本の食文化の特徴をとらえた会心作だ。

本の雑誌 2000年3月号 今月のお話──椎名誠 うれしくてもどかしい「こだわり本」


遠藤哲夫『ぶっかけめしの悦楽』(四谷ラウンド)は、このタイトルの通り、ご飯の上に味噌汁をぶっかけて食べる、いわゆる基本的なぶっかけ飯に端を発し、とろろやかす汁やその他のさまざまな、まあつまりはぶっかけものをぶっかけた丼について幅広く研究してある。ぶっかけ飯は日本人の食事の原点であるとするこの論旨はいささか乱暴ではあるけれども、実質的に「そうかもしれないなあ」と認めざるを得ないところがある。筆者によれば、カレーライスもぶっかけ飯の範疇に入る。そうしてぶっかけ飯こそがとにかくうまい飯の基本なのだと激しく説いていくのである。全編とにかく強引なまでにぶっかけ飯礼賛の筆致はこだわり本の典型的なこだわりの極致をいっていて、読みながらあちこちで何度も拍手をしてしまったほどだ。

困るのは読んでいるとそこに書いてあるぶっかけ飯をやたらと食いたくなることである。もうその日のひと通りが終って、布団の中に入り、この本を開いてぱらぱら読んでいるのだが、大根おろし飯がうまいなどという項目にくると、本当にそれが食いたくなってしまい、思わず台所のほうにむかっていきたくなるようなことが何度もあった。食べものに関する本はたくさん出ているが、この本はまさしく異端の傑作本と言えるのではないだろうか。途中で著者略歴の項目を見たら、この著者は以前『大衆食堂の研究』(三一書房)という本を書いていて、ぼくはそれも読んでいた。まあつまり、ぼくが感覚的に好きな作家の一人ということになるのだろう。

注=この「お話」は、椎名誠著『日焼け読書の旅かばん』(本の雑誌社、2001年)にも収録されている
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