第2夜の2 やよい食堂へ向かう胸の高まり
歩道橋の下にたたずむような中村屋の角から通りをあるく。この商店街は、もちろん昭和だ。個人商店の時代の昭和、そして流通革命の昭和を象徴するスーパーが道路からちょっと引っ込んで一店、そして驚いたことに、どうみても地方銀行があるだけでもマシという感じの貧乏臭い昭和の環境に、ナショナルバンクの支店があるのだ。そこで、おれは、この町は深い、油断ならぬ、と思った。
駅前から歩いて通りが流山街道と交差する、その信号を左に曲がるのだが、右角に古い立派な愛宕神社がある。広い境内、社のつくりもいい。そして、この神社こそ923年から野田開墾後の氏神であり、後世永禄年間に始まる醤油産業と共にあったらしい。境内には、かつて醤油をしぼる重石に使った大石が数個あって、そばの立て札には、それを持ち上げる力自慢があったと記されている。うむっ、肉体的だ、男くさい。ますます、やよい食堂に期待がもてそうな気がしてきた。
片岡ミシン商会拡大

そして、ああ、「片岡ミシン店」、あ、いや、「片岡ミシン商会」さま。こんな大きなミシン屋こそ昭和の遺跡ではなかろうか。そうだ1950年代、戦後が色濃いなかで大衆食堂が勢いをつけ成長しているころ、またミシン屋も勢いがよかった。全国的に嫁はミシンを使いこなしてあたりまえだった。衣装自家製時代があった。なにをかくそう、いやそれほど大げさなことではない、おれの実家はミシン屋をやっていて、そして60年代早々に没落したのだった。いまどき、このような大きなミシン屋が残っているなんて、まさにここは手づくり自家製の昭和を蓄積した街だ。愛宕神社から流山街道を歩いてきて、この片岡ミシンのところで、右へ、つまりカメラをかまえているほうに曲がる。ますます、やよい食堂への期待が高まる。
そしてそして、おれは感激に胸がふるえた。この、これ、ラーメン屋なのである。語るだけ感激がそがれる。じっとみつめてほしい。すごいなあ、わけもなく、男っぽい「千葉」を感じたのだった。そして間近にせまった、やよい食堂への期待が、いやがうえでも高まった。
その名も「昭和会」商店街ああ、ついに、道路の奥の左側に、かすかに「やよい食堂」の看板がみえた。この通りの名は、なんと「昭和会」商店街なのだ。寂れた風情のなかに、まだ米屋がある、魚屋がある、うーむ、期待できそうな気分が、ますます高まる。

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