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書評のメルマガ連載一覧

書評のメルマガ09年4月17日発行 vol.404

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■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(32)「実用書」をバカにしちゃいけないよ。
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瀬尾幸子『ちゃぶ台ごはん』小学館、2009年

この4月になって発行になったばかり。瀬尾幸子さんの本は、07年10月15日vol.332の25回目で『簡単!旨いつまみ』(学習研究社、2007年)を紹介した。そのあと『おつまみ横丁』が出て絶好調、『おつまみ横丁 もう一軒』が続き、たしか両方で80万部をこえるベストセラーになった。というわけで、本書の腰巻には、「『おつまみ横丁』の瀬尾幸子さんが作り続けてきた愛蔵レシピ101」とある。

じつは、おれは、「料理理論」については、傲慢といえるほどの自信を持っている。ここでも、これまでイチオウ有名な著書をいくつも取り上げてきたが、ほとんど腹の中では馬鹿にしながら書いている。黙っていても、それはねーだろ、ってところを見抜いたうえで書いている。そんなつもりなバカですね。

食べることについては、食べることができて文章さえ書ければ、誰だって書ける。だからだろう、文章を書くたいがいの人が、書く。そして、たいがい、調子にのってアヤマチを犯すことが少なくない。ま、それを文章の「表現力」だか「技法」だかで、フツウの読者は誤魔化せても、おれは誤魔化されないよ、と、おれは自信満々なのだ。

しかし、瀬尾さんについては、馬鹿にできない。困った。馬鹿にできなくては、おれの立つ瀬がない。でも、とにかく、瀬尾さんの頭の中には、料理に関するカンジンなところが、ぎっしり詰まっている感じがする。そのカンジンなところとは、「料理研究家」であるかぎり、台所まわりのことは当然で、すごいのは台所と料理が成り立っているバックグラウンドに関する幅広さと深さだ。今回も、それを、強烈に感じたので、これはもう、どこの台所にも常備してほしいと思って、二冊目だけど、紹介することにした。

「料理研究家」の肩書でも、「0.1」ぐらいのことを「1」ぐらいに伸ばして料理本を出している人は、いくらでもいる。そして、「100」のことを「1」 に凝縮するひとは、少ない。ま、ストックが貧弱なのだな。それは、フローに走るメディアの責任であるかも知れない。

たいがいの住まいには調理設備がある。だけど、料理をしない人はいるし、する人もいる。自分で作って食べることを基本にしている人もいれば、そうでない人もいる。その違いは、どうしてあらわれるのだろうか。その背景は一口で説明するのは難しい。その人が生を受けてからの知識や習慣や経験や体験などの全てが、そこに凝縮している。それは料理のレベルでも同様で、大げさにいえば、仮に、フライパンに油をひく行為一つに、その人が生を受けてからの全てが凝縮してあらわれる。しかも、料理は物理的であり、誤魔化しがきかない。

それをレシピとして表現するとなると、かなりの困難がつきまとう。結果的に、圧倒的によくある例だが、無味乾燥なマニュアルのようになってしまう。そんな料理本を見ても、楽しくないし、やってみようという気が起きない。

で、近年は、レシピに、なにやら楽しげなエッセイ風のものがプラスされる。ことによると、楽しげなエッセイ風にレシピがプラスされる。すると、ますます、化けの皮がはがれる。昨今の、なんでしょうねえ、「ナチュラル」系?「癒し」系? 同じようなブックデザインで、同じような文体で。本書においても、そういう文体を真似たような解説がついている。だけど、中身が、だんぜん違うのだ。

『簡単!旨いつまみ』のとき、「「つまみ」は料理ではないのか? といえば料理だし、やはり本書は「料理論」があるひとの本になっている。むしろ高邁な本格的なこけおどしのきく料理より、それが際立つようだ」「瀬尾さんの料理には、独得のスピード感とリズム感がある。まさに「速攻」なる言葉がふさわしいのだけど、リズム感は料理の原則や構造から生まれるから、それがわかっていないと表現されない。アイデアとスピードだけで奇をてらったものになる」と書いた。

『おつまみ横丁』は、新書版というコンパクトのサイズで、レシピを3ステップでわかりやすくしたことが、使いやすく売れる要因の一つになったと思う。しかし、実際のところ、的確に3ステップでまとめるのは容易ではない。簡単にすればするほど、ストックが貧困なら、ボロが出る。それは、その後増えた類書を見れば歴然だ。

そして、本書は、やはりB6のコンパクトサイズで、全部が3ステップというわけではないが、ほぼ、おなじように簡潔なレシピになっている。

「日々、飽きずに食べられるおかず」「作り続けても飽きない」そして「季節のものも、季節を問わずいつでも作れるものも、作り方は簡単ですが手抜き料理ではありません」と言い切る。これは、瀬尾さんの一貫した立ち位置だと思う。本来、ごはん、つまり本書における「めし」と「おかず」は、そこがカンジンだろう。だけど、こう言い切って、そのとおりにレシピを示される人は、めったにいない。だってね「飽きない」ですよ。

料理は毎日のことだ。いや、そこから考えているかどうか。毎日のことだと、覚悟のはっきりしてない人も少なからずいるようだ。だけど、毎日、食事はしている。そのとき、自分で作るものだという覚悟があるかどうか。実際にできないことがあっても、自分が立ち返るところは、自分の台所だという、生活に対する「姿勢」のような「思想」のような「哲学」のような、覚悟があるかどうか。そこまで問われることになる。

ラー油を手づくりする一方で、製品の濃縮だしをつかいこなす。「ずっと続くことだから無理は禁物。時間がないときは、無理をしないで作れるもので晩ごはんにしましょう」と説く。すべては、そこから始まるのだ。生きる覚悟があるなら、めしを作る覚悟もしよう。そういうことなのだ。

東大宮の小さな本屋にも、この本は置いてあるから、どこでも簡単に買うことができるだろう。買って、瀬尾さんが、こともなげに簡単にまとめていることを、注意深く読んでみよう。生きる心構えや生活の美しさは、即物的に見える料理のレシピ、ハウツーに宿るものなのだ。何か作りたくなるだろう。

〈えんどう・てつお〉発売中のミーツ・リージョナル別冊『東京ひとりめし』に「遠藤哲夫の[信濃路]偏愛話。」を書いています。スローコメディファクトリー@下北沢での泥酔論トークライブは、好評のうちに今月26日が4回目。「酒とつまみ」のサイカメさんと「スナック」についてオシャベリの予定。
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