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書評のメルマガ09年2月13日発行 vol.396

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■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(31)ただ呆然と見るほかない食品廃棄の都「東京」
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佐竹利允『残ぱん東京』食糧問題研究所、1975年8月

 「さまざまな宣伝におどらされた消費者は、消費は美徳のムードに酔っていつしか浪費の谷間に落とされていった。節約は美徳の時代に生きた戦前戦中派のひとたちは、この浪費軌道を暴走する戦後派の姿を、ただ呆然と見るほかなかった」

 著者は、そう書いているのだけど、べつに戦前戦中派の人間じゃなくたって、ただ呆然と見るほかないだろう。しかも、いまだに、本書の時代から、ほとんど何も変っていないことに、ただ呆然とするしかない。

 つまり、コンニチでも食糧自給率は騒がれるのに、食品廃棄率への取り組みは、新聞などで「食の不安と裏腹に日本人はあまりにも飽食に慣れ切っていないだろうか」「世界の人口は約六十三億人。しかし、この中には、満足な食事どころか水すら飲めない最貧国が数多くある」「私たちの食生活を顧みて、無駄はないだろうか。子供たちに「食事は残さず食べなさい」と言う親は少なくなったと感じる」と報じられるように、個人の習慣や気の持ちようのレベルに還元されて終わっている。

 食品廃棄率対策ぬきで食糧自給率向上を言ったところで、風呂の栓をしないで水を入れているようなものだ。しかし、この問題は、極端な東京一極集中の最も暗部に関わることなので、そうは簡単な解決策が立たない実態もある。

 いま「百年に一度の不況」とかでマスコミは騒々しい。だけど今回と同じようにヒステリックにマスコミが騒いだ不況があった。1971年の「ドル・ショック」に続く、いわゆる73年の「オイル・ショック」というやつだ。74年、日本経済は戦後初のマイナス成長となる。

 ということで、買えるだけ買い、所有するだけ所有し、占有するだけ占有することに疑問を抱かず生きてきた「大量生産大量消費社会」に対する反省の空気が生まれた。オイル・ショックは「資源の有限」を自覚させ、世界的食糧危機が叫ばれた。石油は、あと十数年で枯渇するというような話もあったとおもう。とにかく、明日にでも世界が食糧危機に陥り食糧自給率が50%を切った日本は大変な事態になるとマスコミは例によって危機感を煽った。「食糧自給率の向上」や「食糧備蓄」がいわれた。

 本書は述べる。「たしかに「食糧自給」とか「食糧備蓄構想」とかの施策論は、一見前向きの響きをもつし訴求力がある。「節約は美徳」などと謳い上げてみたところで、消極的な姿勢なイメージは免れないだろう。が、こと食糧に関する限り、もっと地道な思想があって然るべきではないか。人間一人一人の生きるための糧は、一人一人が自らの日常の中でとらえるべき問題とおもわれるからである」

 本書は、食品廃棄や残飯問題について正面から挑んだ書として、当時注目された。おどろくべきことに、いまでもそうなのだが、食品廃棄については統一的なデータを管理しているところがない。著者は、関係するデータを集め、銀座や新宿のゴミを追い、「残飯紳士」や「豚もいやがる給食残飯」などを取材、その実態にせまる。散漫ではあるが、残飯だけではなく食品廃棄の全般に関して、当時考えられるだけの角度から触れている。飲食店や家庭の残飯もちろん、生産や流通の段階で出る廃棄処分、まずい給食のことなども。みな捨てるのにカネがかかることである。

 そこに浮かび上がるのは、たしかに「一人一人が自らの日常の中でとらえるべき問題」から出発しなければならないのだが、大消費都市として日本の鬼っ子のように成長してしまった「東京」の姿だ。その後、ますます消費へシフトを強めた東京の欲望は、買えるだけ買い、所有するだけ所有し、占有するだけ占有することに向かって、留まるところを知らないかのようだ。

 70年代中ごろは、まだ、男が語る「食」は、仕事上でのことか、道楽や趣味でのことだった。「生活」は女まかせだった。だから、「一人一人が自らの日常の中でとらえるべき問題」は、とくに戦後生まれの女の問題にされている。だけど、廃棄の多い飲食店を最も利用していたのは男たちだったし、女たちを労働と消費の市場に誘い出し、女なしでは過剰な欲望に支えられた消費経済が成り立たない事態をつくりあげたのは、男が実権を握る政策ではなかったか。そのことには触れてない。そういう時代だった。

 むしろ本書の時代以後、男の手のひらの上で、「東京」と「女」を「広告塔」に、死蔵や廃棄物が省みられない消費社会の暴走と迷走が激しくなったようにおもう。そして「男」と「女」は共鳴しあい手を携えて、死蔵と廃棄するほどモノを買う日常にコーフンしシアワセを感じるようになった、かのようなバレンタインデー間近なのだ。「地道な思想」なんて、とても…と、東京を眺めながらおもう。
 ただ呆然と見るほかない。

〈えんどう・てつお〉3月7日、大阪市立大学高原記念館でのシンポジウム「場所の力」にパネラーで参加、「都市の隙間――<貧乏くささ>の居場所をめぐって」ということで筑波大専任講師の五十嵐泰正さんと対談します。
詳しくは、http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2009/01/37-d359.html
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