ザ大衆食トップ

書評のメルマガ連載一覧
書評のメルマガ08年12月18日発行 vol.389

--------------------------------------------------------------------------
■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(30)自分で食べるものは自分でつくる食の「自主管理」を主張
--------------------------------------------------------------------------
津村喬『ひとり暮らし料理の技術』野草社、1980年7月

 「あとがき」にもあるが、本書は1977年の12月に風濤社から刊行された。その後、風濤社は倒産し野草社から発行され、俺が持っているのは、その第一版第六刷で90年6月の発行だ。津村喬さんは、当時、本書に続き『食と文化の革命』1981年3月社会評論社、『風土食の発見』1983年3月北斗出版などの食文化系の本を著し、とくにサブカルあんどカウンターカルチャー系のあいだで人気を得ていたが、なかでも「実用書」的な本書は、他の2冊より幅広い層に売れた。

 食文化史的にみると、料理を生活の技術とする視点からの著述は歴史が浅く、1974年に『庖丁文化論』を出版した江原恵さん以後、津村さんのこの3冊、そして、1993年にリブロポートから発刊の熊谷真菜さんの『たこやき』あたりが代表的なものになるだろう。

 とはいえ、三者それぞれ立ち位置はちがい、とくに津村さんのばあいは、ウィキペディアにも「「広義のメディア批評」を唱え、国際政治から日常料理までを論評しつつ、生活主権の確立・拡大のために多方面で活動を行う」とあるように、料理をメディアと見る視点、それから、「身土不二」という、これは中国伝来の思想といってもよいような理念あるいは観念にもとづいた主張であることが、かなり特徴的だった。

 タイトルの「ひとり暮らし」は、男のひとり暮らしを意識している。男子厨房に入ろう会、77年11月発足。風濤社77年初版は12月。「男の料理」が流行りだしたころだ。

 本文の冒頭は、このように始まる。

 ――男の料理、はやってきたね。
 と、ぼくもそのブームの一端に加担しているように言われると、やっぱり反撥が先に立ってしまう。
 ――どうなのかな。料理をしなかった人がやりだすのは、自分の生活を見つめる機会がふえるのだからいいことだけど、なぜ「男の」ってさわぐのかな。
 ――女の人たちだけが家事に縛られるのではなく、男だってやるべきだといってきたわけでしょ。
 ――それは賛成なんだが、料理って「縛られる」ようなものなのかな。それにね、今いわれている「男の」っていうニュアンスは「女は生活、男は趣味」なわけでしょ。創造だとか芸術だとか、ちょっと吐き気がする。
 ――日常の食のありかたはそれじゃ何も変らないってこと?
 ――男の、女の、という立て方がちがうんだ。自分で食べるものは自分でつくるというのが当然の原則でしょ。ごちそうしたい、って感覚はまた別だけど。
 ――それが「ひとり暮らし」なのかな?
 ――ぼくも三年近くひとり暮らししてさ、たったひとりで「食」を自主管理することがどれくらいむずかしいかを痛感しながらやってきた。ニューファミリーってなれあう前に、ひとりひとりがそれができれば、この国の食生活全体が、ひいては生活のありようが変っていける、まともになるんじゃないかって想いがある。自主管理できてこその共同管理だ。孤立してないと創造性もない。そこが言いたいわけだ。

 と、いまでも傾聴すべき話で始まるのだが、その「自主管理」の中身は、「身土不二」であらねばならないにゆきつくあたりから、おかしくなる。それは、こんにちの「自然食」や「地産地消」にもつながるが、当時は、それこそ食道楽の男たちが通ぶっていう、ナニナニはドコソコに限る、一番出しのとりかた、といった話になり、はては、中国人はヨーロッパ人は、毛沢東は西郷隆盛はといった、庶民の生活の実態から離れた知識の披露になる。ま、このへんは、いまでも続く「男の」料理談義の限界なのだろうが。「男の料理」のあけぼのは、どんなアンバイだったか。けっきょく「女は生活、男は趣味」をひきずって消費主義にのまれた男厨会やA級B級グルメ騒動とは違う流れ、「自主管理」という当時としては「反体制」「左翼」的だが、生活の視点を持とうとした料理が、どういうものだったか知る手がかりにはなる。

 「男の料理」のあけぼのは、男でも女でもない、「生活の料理」のあけぼのだったのだ。

 スーパー業界の専門誌『食品商業』などによれば、日常の食の重点が「自炊」つまり「家めし」「家酒」へ傾斜を強めている。いうまでもなく、「格差社会」を生み長く続いてきたし、まだ長期化しそうな、もはや一時的な「不況」とはいえそうにない、そしてこれがアンガイ日本経済の実態かも知れない環境のなかで、食と生活の「自主管理」を考えてみるのも悪くないようだ。

 「自分の食生活を自分でうちたてていく見通しも努力もなしに、この都会が与えてくれるままの食物を受け入れるままになっていくとしたら、それはおそろしいことだ。食べるということは生活の基本であり、当然に文化の機軸だ」

 それはともかく、俺的には、何ヵ所かで汁かけめしについてふれていて、茶漬けと汁かけめしの区別も明快であり、「丼ものも汁かけのうちだろう」とあるのが興味深い。それなりにハウツーは豊富で、「料理の技術」の押さえるところは押さえている。

〈えんどう・てつお〉年2回発行の美術系同人誌『四月と十月』(牧野伊三夫編集・発行人)10月号から「理解フノー」という連載を始めました。このメルマガが発行になった頃には終わっているかも知れませんが、コメディ・ライター&プロデューサーの須田泰成さんが下北沢に開店したスローコメディファクトリーで、13日土曜日、須田さんとトークライブをやります。「いまこそ泥酔を!」というテーマ。今後も続くかも知れません。
詳細はこちら http://slowcomedyfactory.blog24.fc2.com/
ザ大衆食 http://homepage2.nifty.com/entetsu/