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[書評]のメルマガ 07年6月11日発行 vol.316 --------------------------------------------------------------------- ■食の本つまみぐい 遠藤哲夫 (24)厖大な資料を駆使し「常識」を破壊 --------------------------------------------------------------------- スティーブン・メネル著、北代美和子訳『食卓の歴史』、中央公論社、1989年 翻訳本は、第11回の『美食の文化史 ヨーロッパにおける味覚の変遷』以来だ。そのときタイトルだけ何冊か紹介したなかでも、本書は、将来のヴィジョンを考えるうえで、もっとも重要になるだろう一冊だ。はやく取り上げたいと思い、一度原稿を書こうとした。しかし、かなりイイカゲンなおれでも、なかなか書けないまま登場が遅れてしまった。というのも、本書は「構造主義の限界」を指摘しながら、「発達論的アプローチ」を試みているからだ。 こんにちの日本の食文化をめぐる議論や常識は、70年代以後のサブカルブームのなかの食文化ブームの影響をくぐりぬけている。そのブームをリードしたのが、構造主義や影響下の文化人類学だったといえる。その時代に、食の分野の仕事に関わり、食文化に興味を持ったおれにとっては、本書が指摘する、その限界の一つ一つは、わが身のことであり、内容を噛み砕き飲み込むのに、自己変革なみの努力が必要なのだ。というわけで、何度も、この500数十ページにおよぶ労作を読み、ま、なんとか書いてみるか、というかんじになった。 おれが気になる、本書の特徴の根本は、こういうことだ。たとえば、美食と粗食、美食と健康、うまいまずい、安くてうまい、といったふうに異なる二項で考え、どちらが正しいか、イヤイヤどちらかではなくどちらもだよという考え方は、ごく「常識」になっている。また、そういう考え方は食文化の分野にかぎらず、理系と文系、経済と文化、実益と趣味、あるいはモノとココロといったぐあいに存在する。本書は、それは、複雑化する現代を理解するには不適切だし限界がある、あまりにも思考が単純すぎるというのだ。そのようにこれまでの「常識」を打ち砕いていく。そこが、帯にもあるように、「刺激的文化論」となっているゆえんだろう。 著者はイギリス人である。そして、アングロ・サクソンのプロテスタントで質実剛健のイギリスと、ラテンなカトリックの美食のフランスというぐあいに、何かと異質な対照性で比較される両国の、印刷物が資料として残る中世からの文化を詳細に検討している。駆使する資料の量たるや、スゴイ。とくに、「第7章 職業としての業界誌」「第9章 家庭のコックの啓蒙?」「第10章ガストロノームとガイド」のように料理書だけではなく、業界誌や婦人誌やガイド本など多様な資料を動員し、その現実生活への影響に分析を加えている点は類書にみられないし、文献研究の姿勢と方法は実証的かつ具体的で誠実である。文献研究のあり方を考える上でも良書といえるだろう。 「第9章 家庭のコックの啓蒙?」で“キッチンは、家の中で、一番大事な部屋になりました。あなたが、他のどの部屋よりも、ピカピカに磨き上げておきたい部屋です。”という1960年代の婦人雑誌の論評を取り上げて、“これは、恐ろしく解放されていない考えだ。”と切り捨てながら、その根本にある、「仕事」と「趣味」について、こう述べるあたりに、著者の真骨頂があるようだ。“一方には、社会的に束縛された「仕事」があり、他方には、スポーツ、芸術、趣味など、仕事には欠けている興奮と楽しみを追求する模倣、あるいは、遊びの行為を意味する「余暇」がある、というように、正反対の二つの範疇の行為しかないと考えるのは誤りだ。” ようするに、食べ物への嫌悪や食べ物を楽しむ能力の欠如を含め、人間の味覚と料理術は、どう発達してきたかであるが、訳者あとがきは著者の主張をうまくまとめている。“人は、よりおいしいものを、という感覚的欲求を満足させるためだけではなく、社会における自らのステータスを確認し、誇示するためにも食べる、というのが、本書におけるメネルの主張の眼目である。自分より下の階級とは異ったものを食べたい、という人々の要求が、食の発達をうながしてきたというのである。” “現代日本社会にグルメブームとして表出している社会のエートスを考えるとき、ひとつの重要な手がかりになると思える。” 貧乏人同士が貧乏を確認しあうなんて、おかしいかんじがしないでもないが、貧乏人だって、いや貧乏人だからこそか、少しでも優位に立ち他を蔑み同類仲間との連帯や共感が欲しい。その欲求を食べ物で確認する行為が、さまざまなグルメ本や食べ歩き本の市場をつくっている。それが、うまいまずい以上の要因にもなっているとナットクできる。また、自然のままのナマの味が最高とされる近頃の日本だが、それは普遍でもなんでもないどころか、ある種の社会動向を反映している、ということも本書を読めばナットクできる。 だけど、やっぱり、とりわけ日本の大衆は、単純な思考や話を好む。多様性の増大のなかで、日本の大衆食は、どうなっていくのだろうか。ためいき。 〈えんどう・てつお〉フリーライター。 できたら中野駅周辺、もしくは中野から東地域、ビル一戸まるまる借りたい。なかなか条件にあう物件がなく困っている。秋までに決めたい。求む |