ザ大衆食トップ

書評のメルマガ連載一覧
[書評]のメルマガ 07年4月7日発行 vol.308

---------------------------------------------------------------------
■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(23)科学化される調理
---------------------------------------------------------------------
杉田浩一『「コツ」の科学 調理の疑問に答える』柴田書店、1971年

「ビールをつぐとき、コップを傾けるのはなぜ?」「海の魚は皮から焼き、川魚は身から焼くとされているのはなぜ?」「火の上でサンマやウナギを焼くとき、横からあおぐのはなぜ?」「すきやきの肉としらたきは、ふれ合わないようにするのがよいというのはなぜ?」…というぐあいに、「この本は調理にあらわれるいろいろな「こつ」を、科学の目でながめるのを目的としています」(著者のことば)

おれが持っているのは1977年の45刷だが、昨年の11月15日に『新装版『こつ』の科学』として発行された。柴田書店食の殿堂メールマガジン 2006年12月01日は、そのことを「初版から30年、累計25万部の「こつ」の科学が、写真、図版を全面的に新しくし、新装版として登場!」と伝えている。「昭和43年〜44年にかけて、二年間にわたり『月刊専門料理』に掲載された記事に加え、現場のベテラン調理師から寄せられた疑問、調理学の講義において取り上げられている問題を多数追加し、なんと287項目を収録。普遍的な調理の仕組みを知ることで、新しい料理の世界が広がります」。料理のプロ、専門家のニーズを背景に生まれた本だ。

1970年前後から外食産業は「産業」といわれるようになる。そのころ誕生し成長するファミリーレストランが「産業化」の急先鋒を担った。しかし、その前から外食は、かなりの市場規模で存在していた。なのに「なぜ」いまさら「産業」だったのか。簡単に言ってしまえば、飲食業が、銀行の貸付の有力な対象として、また投資の対象として、「一人前」とみられる事業分野に位置づいたということなのだ。別の見方をすれば、生業的な経営から企業的な経営を志向するものが生き残る競争環境になった。さらに別の言い方をすれば、人びとの胃袋は生活を超えて市場に引きずり出され、投資の対象になったということでもある。

というわけで、調理は見て覚えるもの、「なぜ」なんて考えないで先輩のやるとおりにやればよいといった、「身体で覚えろ式」の体験訓練主義的な悠長なことでは、資本回転率を上げることで利益を大きくする法則の投資の期待に応えられないことになった。「調理学」といえば聞こえはよいが、大方のもてはやされる学問がそうであるように、より短期の人材育成を目的とした「マニュアル化」が進む。

でもまだ、この初版の時期は、「こつ」や「秘伝」を神秘的な権威として守ろうという保守主義は濃厚だった。そのためか、「著者のことば」では、「「なぜ?」を知っても調理のウデが急に上がることはないかもしれません。ところが逆に、ウデをもつ人が「なぜ?」を考えることは、調理という仕事の進歩と向上に、はかり知れない大きな力になると思います」と、ウデのある職人に気をつかっている様子をうかがえる。

しかし、そのころから、職人が神秘主義的に守ってきた調理法は、どんどん身も蓋もないほど丸裸にされる。調理の内容は科学され、調理作業もビデオカメラで詳細に分析され、マニュアル化される。資本と急成長する市場のニーズに応える体制ができあがっていく。さらに食味センサーなるものまで生まれ、どんどん計量化され、味覚づくりの現場は、いまや化学実験室のような有様になっている。それが累計25万部の背景といえるだろう。

おもしろいのは、そのように科学的に丸裸にされた味覚を、一方ではグルメたちが「こつ」だの「秘伝」だの「まぼろし」だのと神秘主義的にありがたがることだ。ともあれ、依然としてインチキくさい根拠のない知ったかぶりが横行するなかで、ここに書かれた「なぜ?」を知っておくことは、日々の料理に役立つだけではなく、料理の構造への理解を深めながらウンチクを楽しむのによい。

〈えんどう・てつお〉フリーライター。忙しい。アル中一直線。