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[書評]のメルマガ 06年10月11日発行 vol.283

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■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(20)まな板に興奮しちゃったよ
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石村眞一『まな板』法政大学出版局2006年3月

 本文316ページに図版328点、全部まな板。しかも、ほとんどは台所や店頭あるいは調理の風景の中にある。それがですよ、中国の殷の時代から現在のステンレスの流しの上のプラスチック製まで。著者が実際に足を運んでの写真は、日本もちろん韓国、中国は上海などの都会から新疆ウイグルやチベット、東南アジア各国、中央アジア、イランにトルコ、ヨーロッパ……。一枚の写真が語ることの多さって、本当にスゴイ。図版に興奮し夢中になり、著者の話が、またオモシロイ。

「まな板とは、食物を包丁で調理する際に用いる道具で、食物を上に置いて手で固定し、切る際に包丁の刃を保護する機能と、切り取った食物が散逸しない機能を持つと定義づけることができる」というのも、まな板を使わない手で固定しない、それで切る調理をする地域もあるのだ。そして、とくに多くの日本の食文化の話では、神事や伝説と実際の歴史がゴチャゴチャになって、すぐ「元祖」がどうのこうのという神秘的なイイカゲンな話になるのだが、そうではない。調理用の「まな板」と祭祀用の「俎」を同じジャンルとしながらも機能的に区別しながら書いている。じつにまな板に忠実なのだ。

「『サザエさん』に見る台所とまな板」では、1946年(昭和21)4月福岡県の『夕刊フクニチ』から始まる連載をチェックし、著作権の関係で図版は使えないので「調理台の上にあり、サツマイモが上に置かれている」といったように70年までの44例を紹介し、台所の変化と合わせて詳細に検討する。そして「昭和三十年代以降の生活描写は、世の中の流行からすこし遅れて新しい道具や装置を取り入れている。その代表がキッチンセットや足のないまな板である。この少し遅れた生活の近代化と、一見ちぐはぐに見えるその対応が、高度経済成長期で見かけだけ近代化を展開した日本人のギスギスした生活に癒しを与えてくれた」と指摘する。

 また、「日本人の階層観は、俎・まな板の大きさ、材質、足の形状等といった要素と共に……使用時の姿勢にまで及んでいる」それが明治以後変化し「特に家庭用まな板の階層性はより狭くなってきている」なんていう分析もしている。

 本書は、法政大学出版局の「ものと人間の文化史」シリーズの一冊であり、著者は「物質文化研究という範疇でまな板を見ていることには違いないが」「文化史といった領域では特異な見方かもしれない」というが、オタクっぽい特異性こそが、じつに興奮的にオモシロイのだ。とにかく、おれがガキの頃は、足のついたまな板だったと思い出した。

〈えんどう・てつお〉フリーライター。連載も絶え失業状態。長い間お世話になった西日暮里の竹屋食堂閉店。ミニバブルで飲む機会増え。