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[書評]のメルマガ 06年8月9日発行 vol.275

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■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(19)新鮮だった食文化ブームの端緒
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石毛直道『上方食談』小学館、2000年

産経新聞大阪本社が編集するページに1993年の1年間連載したコラム「西方遊食」を中心に、関係ある文章などで構成したのが本書だ。この中に、「錦市場探訪」という短い文章が収録されている。そのために本書を取り上げるのであって、ほかの文章には、あまり用がない。

「錦市場探訪」の初出は、雑誌の『ミセス』1971年6月号(文化出版局)。石毛は1937年生まれ、当時は京都大学人文科学研究所の助手であり、「食について書きだした初期」のものだ。おれは、その同じ年の9月に企画会社に転職し、食のマーケティングを担当するのだが、そのころでも、というか、そのころますます、この一文は話題になり、石毛と錦市場は「全国区」化する。

石毛と錦市場が有名になっただけではなく、「食べること」を文化として考える、いわゆる「食文化」が、このあたりから芽生え成長し、70年代後半には「食文化」がブームになるが、石毛は絶えずその中心にいた。

『講座 食の文化』第1巻「人類の食文化」(農文協、1998)の「監修のことば」で石毛は、こう書く。「食べることに関する従来の研究の主流 は、おもに食料の生産にかかわる農学の分野、食物の加工をあつかう調理の分野、食べものが人体にどう取り入れられるかを調べる生理学・栄養学の分野に話題が集中していたように思う。そこでは、食べる人の心の問題にはあまり考えがおよんでいなかったのではないか」「“日常茶飯事”ともみえる「食」のなかに文化を発見し、学問研究の対象とする」「すると、そこに現われてくる「食の文化」の本質は、食べものや食事に対する精神のなかにひそむもの、すなわち人びとの食物に関する観念や価値の体系であるといえる」

ま、そのような食文化研究や食文化エッセイの端緒を探ると、いくつかあるが、「錦市場探訪」は、はずせない一つだろう。

それは、「「錦(にしき)へいく」というのを聞いて、すかさず「今晩はごちそうですな」と返答できるのは、京都をよく知っている人である」と始まる。いまなら、こういう表現は、どこにでも転がっているだろうが、当時は、じつに新鮮だった。

そして、次のように日本料理の本質と錦市場の特徴を説明しておわる。つまり「錦市場が生き残れたのは、昔から錦は小売りを手びろくおこなっていた市場であったから」なのだが。

「日本の料理ほど、料理屋の料理と家庭のお惣菜の差のひどい料理文化はめずらしい。そうなった原因のひとつは、日本料理が、手を加えない、「料理をしないことが料理の真髄である」、といったパラドクシカルな体系にもとづいた料理であることに求められる。手を加えないということは、材料のよし悪しで料理が決定されるということを意味する。そこで、素人と玄人ではまず材料の仕入れ先から異なっているのである。錦市場は高級料亭と大衆の食生活の接点をなしている。めずらしい場所である。」

ここで指摘された、日本料理の「パラドクシカルな体系」と「大衆の食生活」は、大きな関心事になっていく。ま、そういうものが話題になりだしてから、まだ30年ちょっとだということですね。

〈えんどう・てつお〉フリーライター。月刊『食品商業』(商業界)1月号から連載の「食のこころ、こころの食」9月号(8月15日発売)のお題は「飢餓はこの世からなくせるか」。よろしく〜。