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書評のメルマガ06年6月9日発行 vol.267

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■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(18)比較文化論の流行で読まれた
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鯖田豊之『肉食文化と米食文化』中公文庫、1988年

日本人は「肉食」について特別な感情や思想を持っている。ま、大げさに考えすぎるのだ。それは肉食を特別扱いにしてきた支配者の歴史と関係するだろう。そういう意味ではまた「米食」も同じだ。つまり肉も米も日本の民衆にとっては長いあいだ特別でありアコガレだった。しかし特別だったにしても、その事情はまったく異なる。肉は、タテマエとしてタブーだった。食べるとバチがあたる。「悪」である。一方、米は「善」であり、天皇家の祭事の中核をなし、主食にまで祭り上げられたが、長期にわたり民衆の胃袋を満たすにはいたらなかった。

その特別なものだった肉や米が日常の食卓のものになるのは、全国レベルで見れば、1960年代だ。とはいえ、アコガレ根性がすぐあらたまるわけではない、コンプレックスは深部に残り、米や肉に過剰な反応を示す。

鯖田豊之の『肉食の思想』が中公新書から刊行されたのは1966年。東京オリンピックで日本は国際社会に「復帰」し、海外旅行も大幅に緩和された。モノもヒトも出たり入ったりで、いやがおうでも欧米に対する関心が高まった。じつによいタイミングだった。「ヨーロッパ精神の再発見」というサブタイトル。欧米人とはなにものぞ、つまり肉食動物であるよ。なんとまあ、わかりやすい。この本は売れた。おれの記憶では、「ヨーロッパ精神の再発見」とは、著者の意図はともかく、読むほうとしては、そこへ近づこうという意思がたぶんにあったように思う。

70年代、大衆は肉をガンガン食べていた。食べながら、欧米人と日本人を比較した。食談義が、あやしげな東西比較談義に発展する。しかし日本人が肉を食べる量など、たかが知れていた。肉を食べる悪人毛唐と米を食べる善人日本人という思想もしぶとく残っていた。そして70年代後半、アメリカで「日本食ブーム」なるものが始まる。それはやがてヨーッロパ大陸へと広がる。

むこうから押し寄せるものがあれば、こちらから広がるものもある。それが国際交流というものだと思うが、こと肉と米となると大げさに考えるクセのある人たちは、それを日本の米食文化の優性、勝利と考えたい。しかも、敗戦日本から経済大国へと成長しても、ウサギ小屋に住んで政治は三流と揶揄されてきた。欧米人を見返すには、米食文化である。という気分がジワジワジワと広がっているころ、講談社から『肉食文化と米食文化』が刊行された。またもや売れた。そして、本書、文庫化されるころは、サブタイトルにあるように「過剰栄養の時代」となり、「いきすぎた肉食」が問題になり始めていた。

本書の特徴は、東西文化の比較の基準に「栄養学」をおいていることだ。肉食のヨーロッパと栄養学の関係、そして「戦争にゆれる栄養学」は、なかなか刺激的だ。また「満腹感には二つの種類がある。ゴハンを主食にしてきた日本人はどちらかといえば複合炭水化物で満足してきた。反対に、欧米諸国では満腹感の源泉をもっぱら脂質にもとめてきた」という視点など、なかなかオモシロイ。しかし、どうも、食文化的には、イマイチ根拠が薄弱な話が多いのが困る。

ちょうど去る6月3日、「四月と十月」古墳部一行と茅野市の「神長官守矢史料館」を見学した。ここは、建物が藤森照信の設計で建築マニアのあいだでは有名だが、日本の肉食史上重要な位置を占めていそうなところなのだ。ここの神饌は、たとえば奈良の談山神社など多くの神社のそれが穀物中心なのに、肉がメインだ。イノシシやシカの生首、ウサギを一匹串刺し、料理にはシカの脳みそ合えなどがあったり。そして、四足を食べても罰があたらないとされたお札を発行する特権を有し、明治なかごろまで発行されていた。東西比較もいいが、まだまだ日本人自身の肉食や米食について知らなくてはならないことが多い。

〈えんどう・てつお〉フリーライター。月刊『食品商業』(商業界)1月号から連載の「食のこころ、こころの食」7月号(6月15日発売)は『健康「ブーム」は行き過ぎか』がお題。よろしく〜。