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[書評]のメルマガ2006年2月12日発行 vol.249

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■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(16)市場にふりまわされる農漁業と生活
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朝日新聞経済部『食糧 何が起きているか』朝日新聞社、1983年

育てる育むことが苦手。欠点欠陥があると、それをあげつらね不満や不安をぶちまけるだけで、育てる育むことを追求しない。結果、壊れる。壊れても、そんなのいらないよ、おれにはこっちがあるよ、こっちがいいもんね。

これは日本人の性癖なのか、いまの日本の市場で生きる人たちの性癖なのか。とにかく、はやい話、日本の農漁業はダメだ競争力がないと、さっさと見切りをつけた。1961年の農業基本法の施行。「優勝劣敗の市場競争原理」なんて言葉は、日本の農漁業は、このころから耳にタコができるほど聞かされてきた。

おれは高校生だった。魚沼コシヒカリで有名になった米どころ、でも田舎じゃ生活ができない、東京へ行こう。東京へ行けばなんとなるさ。若者だけじゃなく、年寄りまで、そう思った。東京へ、東京へ。歌もできた。この流れは、70年代を通して、怒涛のごとく。

で、80年代初め、この本が出た。「朝日新聞に、一九八二年七月から十二月まで、毎週一回連載した特集「食糧」に加筆して、まとめた」。当時の鈴木善幸首相がアメリカのレーガン大統領に尻尾をふって、市場開放政策の第二弾が、大統領にメデタク評価されたころだ。背骨の曲った養殖ハマチが出回って騒がれたころだ。農地では毒ガスマスクをつけて農薬をまいていた。

「日本では、政府の一部が他国と気脈を通じたり、有力経済人が農業そのものの追放を提唱したりする国家的分裂、危機感と危機感の衝突の中で、農業を豊かに生き生きと発展させる、将来にむけての明確な政策を今も政府は描き切れないでいる」「ソニー名誉会長の井深大は、八二年三月十日東京で開いた「国際化に対応した農業問題懇談会」の席で、「農業はそっくり東南アジアへ移したらよい」とぶった。」「「競争力を失ったものを国内に抱えておくことは国民的損失以外の何物でもない。計算すると、農家には農産物を作ってもらうより、カネを渡して遊んでいてもらった方がまだましだ。大体、農業と工業とでは、単位面積あたりの生産性で千五百倍の開きがある」と、井深はいうのである」

何百年の営みを続けてきた田んぼは、わずか1年で草ボウボウ。東京湾の海岸線は埋め立てられ、工場がたち、いや、工場がたったなら、まだいいほうか、いまでも、埋め立てられたまま草ボウボウの海岸が広がっている。井深の描いた風景だ。

いま「食の乱れ」がいわれ食育基本法なるものまで制定された。食の安全が脅かされ、食への不安が高まっている、といわれるが、本書では、こうだ。「核兵器がなくても私たちは滅び得るのではないか。安全性のはっきりしない添加物や農薬漬けの食べ物。何代か後に、どのような形で、その効果が出てくるのか。私たちは緩慢な死を生きている」。チト、これは煽りすぎじゃないかと思う。

こんどは、180度転換の主張。工業を否定し、かつてのように日本の農漁業に依存する、昔ながらの伝統食がよいのだと。この本から、20数年たつが、同じ議論の堂々めぐり。不安や不満や強迫観念からは、マットウな政策は生まれないという証明。「核兵器がなくても私たちは滅び得るのではないか」「私たちは緩慢な死を生きている」。こういう認識から、何か生まれるのか?

ま、でも、いま本書を読んで、この日本という国は、本当に「国」といえるようなものなのか、考えてみるのも悪くない。それに、「市場競争原理」というものが、ワレワレの味覚までつくってきたことに気がつくだろう。そういや、グルメ本や外食本が絶好調に流行りだすのは1980年代からだ。そういう本の書き手が、あたかも、よいモノうまいモノをご存知のようにふるまっているが、その多くは、市場がもたらした幻想にすぎない。生産者も流通業者も、消費者の味覚も、市場にふりまわされてきた。では、ワレワレは、どう市場をこえられるのか。文化といわれた出版ですら、市場でアタフタする時代に。

〈えんどう・てつお〉フリーライター。毎月15日発売の月刊『食品商業』(商業界)に「食のこころ、こころの食」という通しタイトルで、重いエッセイを連載中。