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[書評]のメルマガ2005年10月11日発行 vol.233
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■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(14)「文士風」との別れ その2
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山本益博著、『東京味のグランプリ1985』講談社、1985年

本書の「拝啓―丸谷 才一様―まえがきに代えて」で、山本は丸谷才一の「批判的指摘」に意見を述べている。それによると、「八四年五月号の「文藝春秋」、山崎正和、木村尚三郎 両氏との鼎談書評で」丸谷は山本について、こういっているようだ。「しかし、食べものについての評論なんて二十代の末や三十代のはじめでするものかし ら……。こういうことは、体力が衰えてからすることで、僕が二十代の末、三十代のはじめだったら、もっと別のことに夢中になるなあ」

この丸谷の話を「批判的指摘」と受け止めた山本の感覚はともかく、85年ごろの「一億総グルメ」現象のなかで、「パチンコ屋で出る台をひとに教えられる程度の技術を誇る人間は結局なにものにもなれない」と言い放った関川夏央に共通する、事大主義的な観念のニオイを感じる。しかしパチンコ屋で出る台をひとに教えられる程度の技術を誇るアリサマは、食べ物を語る者の姿勢としてモンダイがあるのも確かだろう。

対して山本は、いう。「料理を、余技として扱うには、あまりにも手ごわい存在だと思います。ましてや、お座敷芸ではとても太刀打ちできません」。そして料理は食べれば消えるものだから、食べる〈現在〉が勝負だ。「そこで若い者がとる手はひとつ。徹底的に食べまくることによって場数を踏み、料理の〈現在〉に経験を積み重ねてゆくことです」「ことにガイドブックを出そうとするなら、その程度の努力は当然でしょう」

日本で初めての「料理評論家」の肩書で、ミシュランにも負けないようなガイドブックを初めてつくったゾ、しかもそれがバカ売れだよ、3万部5万部というレベルのことじゃないよ、という気負いがあってオモシロイ。で、まあ、勢いあまってか、こんなことまでいう。「十代の末に、桂文楽という不世出の名人の高座に出会い、その後しばらくのあいだ、わたしの心を占領し続けたこの一人の落語家から学んだ〈芸〉を、料理評論にもスライドできると確信したのです」

この2点、食べまくって場数をふむ、名人芸職人芸を評論の基準にする、ということが、山本のみではなく、後続の外食店を食べ歩いてなにがしか書く人たちのシゴトになり、しばらくのあいだは良くも悪くも山本のシゴトが意識された。日本の「料理評論」のあけぼのは、山本の言葉にふりまわされながら過ぎてきたともいえる。それは「東京味のグランプリ」シリーズが売れ、回を重ねることになったことにも関係するだろう。時代は、ありあまる行き場のないカネとモノが外食産業に流れ、外食は食文化というよりマーケットとして急激な成長をする。

外食店では、材料の原価100円のものが、300円の価値になったり3000円の価値になったりする。その「あいだ」に料理が存在する。山本は、 料理とは「食べる技術」という考え方をもって、その事実を追いかけていたようにみえる。しかし、彼の話っぷりは、料理より名人芸なるものに偏って、なおかつ近年は、自ら「食べる名人」を名のるようになった。なんだ、けっきょく、自分が名人になりたかったのか。どうも料理を話のネタにする人は、組しやすいネタで自分を自慢したがるクセがあるようだ。丸谷のシンパイもそのへんだったのかな。という印象で、せっかくの「東京味のグランプリ」シリーズも色あせていくのが、モッタイナイ。

〈えんどう・てつお〉この夏から、年寄りが入院手術という事態を迎え、ナントナク外飲自粛傾向だ。それでわかったが、ウチで飲んでいると、外で飲むより酒量が増えるということ。自分でも驚くほど飲み、かつ、おれってまだこんなに飲めるんだと、役にたたない自信をつけた。9月28日、62歳になった。どうってことないね。