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[書評]のメルマガ2005年8月13日発行 vol.225

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■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(13)「文士風」との別れ その1
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山本益博著、『東京味のグランプリ1985』講談社、1985年

食に関する著述の視点は、専門の研究目的をのぞくと、大きくは、好事家的、風俗的、文学的に分類され、この3つの傾向が著者自身のうちに混乱している例がフツウだったし、いまでもフツウである。食を文化として意識する、文化的な視点での著述が盛んになるのは、石毛直道が『ミセス』71年6月号に「錦市場探訪」を発表し話題になったあたりからといえるだろう。そして、70年代後半に「食文化ブーム」が到来する。日本では「食文化」が意識され始めて、まだホンノ30数年なのだ。「食文化」「食文化史」が大学の授業に登場するようになって、ホンノ数年。であるから、グルメブーム真っ盛りの80年代なかごろに、丸谷才一が山本益博の著作を「週刊朝日」などで評価しながら、トンチンカンな「批判」を加えたり、山本がトンチンカンな「反論」をしたにしても怪しむことはない。

山本の『東京味のグランプリ』シリーズは、82年に講談社から刊行、好評を受けて当初は毎年か隔年で発行を続け、02年『東京・味のグランプリ 勝ち抜いた59軒』で、最初の200店を再び食べ歩き評価してケリ、というかんじだ。「1982年、レストランガイドに革命を起こした」という宣伝文句は、それほど誇張したものではないし、マスヒロ本のなかで食文化史に残るマットウな著述だろう。その中から、「1985」を取り上げるのは、「拝啓―丸谷 才一様―まえがきに代えて」の一文があるからだ。

本シリーズは、「すし」「天ぷら」「うなぎ」「洋食」「ラーメン」の分類、ほかのジャンルが入ったりで、お店を評価案内する。山本は、「料理評論家」の肩書で、それをしてきた。「エッセイスト」や「文筆家」それに類する肩書ではなく、またすでに流布されていた「食味評論家」ではなく、である。そこに、山本の主張があるし、食を文化としてとらえようという機運が強かった当時の意識の反映をみることができる。

好事家的、風俗的、文学的に外食やその料理をオシャベリするだけで、食とくに料理の実態や本質に迫ろうとする意欲や意識が欠落していた。その風潮は、その中心になっていた「文士」たちの「食通談義」とあわせて、「文士風」とよびたいのだが、山本の「料理評論」は、それとの決別だったといえるだろう。実際、山本の書き方は、たとえば「食味評論家」を名のっていた多田鉄之助の「評論」などと比べようがないほど、料理に関する知識は裏づけがあり、また「料理とは」に関する考えも掘り下げたものがあり、料理についてホメるにしても批判するにしても、きわめて具体的だった。

山本の評論は、いまもって「料理(作品)」の評価か「料理人(作者)」の評価かの混乱があって、どちらかというと料理人の評価になっていはしない かという批判があるが、つまりは、そういう批判が出るほど具体的なのだ。だから、このシリーズは、これを見て店に行く目的以上に、これを読むことで、飲食店や料理や職人の仕事を見る見方を深めようという読者が多かった。それが、丸谷才一まで言及するほど、ベストセラーになった理由だった。

山本は、「落語評論」のようなものを書いていたが、80年の『料理人を食べる』(厚生出版)で食の分野へ。そのときから従来の「文士風」の「食通談義」を超える意欲を見せていた。もっと「食べる技術」として、料理を文化的にとらえ、美味について掘り下げようということだったと思う。本シリーズは、 その継続であり、より具体化なのだ。

長くなったので「続く」ことにして。しかし、このひとは、「20歳のころまでに東京中のうまいものは食べ尽くしてきたつもりでいた」なんていう ハッタリを軽くいうから、損をしているようだ。本書の「拝啓―丸谷才一様」も、本が売れてウハウハ有頂天そのままですというような恥をさらしている面もある。ま、愛嬌というものだろう。「料理評論家」という肩書で、「文士風」などクソクラエだったのだから。

〈えんどう・てつお〉この夏はバテが小さく、なんとなく穏やかな呑気な気分で、酒がガンガン飲める。最新の「酒とつまみ」7号「第1回酒飲み高額納税者番付発表」で小結にランクされたが、もっと納税することになりそう。でもね、ガツガツするより、ガンガン飲む、だね。