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[書評]のメルマガ2005年6月13日発行 vol.217

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■食の本つまみぐい  遠藤哲夫
(12)文学と食のアヤシイ関係
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吉田健一『私の食物誌』中央公論社、1972年。中公文庫、1975年。

 先日、ブログで次回の「書評のメルマガ」は山本益博『東京味のグランプリ1985』と予告した。イザ書こうと前を振り返ったら、吉田健一『私の食物誌』がまだであった。これが先じゃないとね。

 vol.136丸谷才一『食通知ったかぶり』で丸谷が「戦後の日本で食べもののことを書いた本を三冊選ぶとすれば」と選んだうちの、邱永漢『食は広州に在り』(vol.151)と本書、それに予定していたマスヒロ本を加えると、日本の文学と食の関係、あるいは文学的権威と食の関係を考える上で、かなりオモシロイ。邱永漢は日本の文学も食も「どちらも『気分』で味わう傾向が強いようだ」と皮肉っているのだが。

 ブームとは、自己発見型の価値観とは対極の自己喪失型の集団的行動であり、そこに気分の固まりと大きな権威が存在する。最近では「カリスマ」といわれたりの「評論家」が権威であり、「ラーメン評論家」までいる。この「ラーメン評論家」の地位は、ほとんど文学的権威の助けを借りずに確立した点に特徴があり、それゆえ知的レベルが低そうに見えるのだろうが、「転機」を象徴する動きとはいえよう。かつては、大新聞という活字媒体が大権現であり、そこに文学的権威が大きく成長した。

 とくに丸谷の御威光は、文学のワクを越える影響力があって、本書は、フランス文学だの純文学だの縁のなかった大衆にまで読まれ、酒場でのサラリーマンの「食談義」のネタになるという風俗も生れた。これはタブン、丸谷も吉田も想像外のデキゴトだったであろう。というのも丸谷は「『食通知ったかぶり』は何よりもまづ文章の練習として書かれた」と述べているし、吉田も別の本で似たような発言をしている。

 しかし、そうであったとしても、「食」を語っている。どうも「食」の本質や実態に迫ってはいないようだし、明らかに間違った知識もある。そのことについてウルサクいう人もいた。その一人に江原恵。だけど、そういうことを問題にしちゃいかんと、本書では、金井美恵子が解説で「吉田氏の食物誌をどう読むかと言えば、これはただ楽しめばよい」という。文学は強く食は弱かったのだなあ。

「長浜の鴨」「神戸のパンとバタ」「飛島の貝」「近江の鮒鮨」……と「ドコドコのナニナニ」式の話は、確かに読んでいて楽しい。しかし広島の牡蠣が「食べていると何か海が口の中にあるような感じがする」を金井は賞賛するが、食の本質や実態に迫ろうとするなら、むしろ邱の「気分」という皮肉の方が納得がいく。日本の食文化の歴史を百年から数百年前にひきもどすような気分にあふれている。そして、そういう気分の系譜にすぎない、生産者や料理人などの「タテマエ」が文学的権威の力で「常識化」され、今日の「国産なら安心」という気分が成り立っているのではないか。

 現在でも「これはエッセイだから」と、「食エッセイ」なら気分で好き勝手いって実態と違ってもよいかのような風潮が続いている。そういうものが有名な書評家に「文学的」に評価されると売れてしまうということがある。しかし文学的に賞賛された食エッセイでも食文化から見たらクズなんてことは珍しくない。歴史的な事情もあって、日本の「一般教養」としての食の知識レベルは低く、だからこそ参入障壁も低く玉石混交。いまのところ。で、次回こそ、「拝啓―丸谷才一様―」と畏れ多くも文学的権威に一閃を浴びせた? 不敵なマスヒロ本だ。あいかわらず文学的権威とそれにすがる食エッセイに対し、食の本質に迫りながら新しい料理的権威を確立しようという、闘争か? コレハ。

〈えんどう・てつお〉フリーライター。泥酔すると家に帰るというクセがついたらしく、泊まる予定で出かけた新潟の故郷で2時ごろから飲み続け正体を失い、気がついたら夜10時すぎの新幹線上野駅、仕方なく浦和の自宅に帰った。以前、一緒に仕事をしていた大酒大先輩が泥酔するとタクシーに乗って家のある「柏!」というクセがあって、彼がニューヨークに出張したとき泥酔しタクシーに乗って「柏!」と怒鳴るので始末に困ったと一緒に行った同僚が言っていたのを思い出す。タクシーだけは乗らないようにしなくては。