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[書評]のメルマガ2004年10月7日発行 vol.183 --------------------------------------------------------------------- ■食の本つまみぐい 遠藤哲夫 (8)料理は楽しく簡単においしくやることよ --------------------------------------------------------------------- 有元葉子『有元葉子の料理の基本』幻冬舎、2000年 ここ半世紀ばかりの間に、日本の有史以来といってもよいか、台所は大激変。井戸水や汲み水や薪や炭をつかい、腰を下ろしてする作業が、電気ガス水道をつかい、立って行う進化。さらに、その新台所と生産の現場を短時間に結ぶ交通網や、冷凍や冷蔵で結ぶコールドチェーンが完備した。新旧交代は「コメ離れ」「洋風化」騒ぎの70年代前半に、ほぼ完了。 「和食」というのは、コメだの魚だの以前に、旧台所の食の伝統である、ともいえる。で、そうみると、とくに90年代以後の活躍華々しい、栗原ひとみさんや有元葉子さんや長尾智子さんといったフツウの主婦から「料理研究家」になった人たちの料理は、新台所で育った料理だということに気づく。 たとえば、彼女たちの料理は、刀のような庖丁は必ずしも必要としない。果物ナイフのような小さいナイフをフルに活用する。サバの味噌煮は、鍋で煮なくてもできる。彼女たちがもたらしつつあるジケンは、料理は楽しいものよ、簡単においしくやるものよ、という生活だろう。旧台所では難しかったことだ。 そして「和食」「洋食」「中華」といった観念は、味覚の気分としてあっても、料理としては意味がない。それは旧台所時代の発想によるジャンル分けであり、必ず「ねばならぬ」というプロの権威がある。「通」や「グルメ」は崇拝してきたが、有元さんはこう言う。「たとえ教科書と違っても、できた料理さえおいしければ誰にも迷惑はかからないのですから」「「ねばならぬ」は、せっかくのアイデアにふたをしてしまいます」 必要以上に厚い本のつくり、私はワカル女よという感じの余計な言葉、クイジナートやグローバルといった上質ブランドの道具を使いこなしているあたり、コシャク。だが、昔ながらの安い“さらし”を活用したり、生活感オバサン風ポートレートが扉だから、ま、いいか。こういう「セレブ気取り本」を見ながら、12匹パックで130円ぐらいのメザシを、いかにうまく食べるか考えるのも悪くないし。内容はシッカリしている。 なにより、下ごしらえ、炒める、焼く、煮るなどの一つ一つの作業について「なぜ、そうするのか」明快。「難しいことは、なにひとつありません」偉そうなウンチクをたれる料理人や評論家とは、かなりちがう。「あとは自由に気の向くままに、あなたらしい料理を作ることを楽しんでください」だ。基本がわかれば本書のような道具だてはなくても、やれる。まずは、キャベツのにんにく炒めでも作って呑むとするとか。 〈えんどう・てつお〉フリーライター。『汁かけめし快食學』(ちくま文庫)発売中。「幻の奇書」といわれる?拙著『大衆食堂の研究』のテキスト化がおわり、サイトに掲載を始める準備中。けっこう大変な作業。青空文庫の偉大さを知る。 |