栃木県今市
まる代のそばと二宮金次郎さんの墓




(05年1月23日記)

04年11月11日、東武日光線下今市駅に降りた。今市(いまいち)は何度かウロウロしたことがある。でも下今市駅で降りるのは初めて。

ここの「名所」は日光街道杉並木(写真の建物の間にチョット見えている)が有名。もう一つ、惜しいがチト忘れられつつある二宮金次郎さんの墓が、二宮神社境内にある。二宮金次郎さんは、この地で死んで、この墓に眠っているのだ。

まずは存亡の危機に向かっていると伝えられる、日光街道の杉並木はどうなっているか検分してやろうと、そちらに向かって歩くと、いいかんじのそば屋を発見。この通りの風情も、このそば屋のようだね。古い街道筋の家並、そして寂れた商店街の雰囲気。

そうだ、今市は、そばが「名物」なのだ。下今市駅からここまで100メートル満たないあいだにも、3軒ぐらいそば屋の看板を見たし、このあと杉並木の周辺でも、何軒ものそば屋を見た。

とにかく、この建物の風情がよいので、杉並木を見て、ああコリャだめだ、このままじゃ杉並木の寿命は時間の問題だと感想しての帰り、入った。

「まる代」という名前。暖簾には、「栗山そば 生そば」とある。日光の奥の栗山村でとれるソバを使っているという意味なのだろうか。よくわからない。

とにかく戸をあけて「ヤッ」とおどろいた。これは、タダの玄関らしきタタキにテーブル2つを置いて営業しているだけである。テーブル2つだけで、ギシギシ一杯。

いやあ、いいねえ。店つまり玄関をあがったすぐは、仕切りの戸はとっぱらってあって、4畳半ばかりの部屋。主人らしきオヤジがコタツに入ってテレビを見ている。もしかするとテーブル席が一杯のときは、そのコタツでも食べさせてもらえるのだろうか。好きだなあ、こういう生業的生活感のただよう店。

そういう規模の店だから、メニューはいたってシンプル、そばやうどんに、ラーメンがあったかな? 玉子丼とかあったような気もする。とにかく、おれは大もりとビール、相方はあったかいそばを注文。

つくるのはオヤジではなくて、妻のオバサンである。オヤジは、どこか身体の具合が悪そうだ。オバサンは、「そば打ち名人」というかんじではない。まさに主婦というかんじで、写真で見る右側のタバコ販売の奥にあたる位置に狭い台所があって、そこでつくるのだ。といっても、もちろんそばは打ってある。そばの地元の家庭で食べる「民食」のフンイキ満点じゃないか。

当地に詳しくはないが、水がよいのと、このへんから栗山などの奥地は、むかしからソバの産地であるから、今市あたりではそばがよく食べられていたのだろう。それを町おこしというのか、「名物」にして売り出そうという動きもあったようだ。とにかく、むかしむかしからそばやうどんが常食の地方によくあった、そば屋が大衆食堂という感覚だね。

そばができてくるあいだ、テーブルに座って壁にボンヤリ眼をおよがせると、短冊メニューのほかは、比較的新しい一枚の列車時刻表が貼ってあるだけ。JR今市駅と東武下今市駅の時刻表で、古いスタイルのまま。そこに、配布主である事業所の名前が広告で入っている。よく見ると、アレッ知っている名前だなあ、「上澤梅太郎商店」である。

おお、そうか、日光たまり漬けの老舗、上澤梅太郎商店は、今市だったと思い出した。おれの「お気に入り」登録HP「清閑日記」は、この上澤梅太郎商店の社長、上澤清閑さんが書いている。おれなど足元にもおよばない、教養の持ち主、有能な経営者、資産家? エートそれからライカ趣味とかワイン道楽?とかとか……とにかくセレブ?エリート?なお方だが、そういう嫌味がないうえに、なんだか好みのセンスなのである。こんどここの味噌を使ってみたいと思っている。

なるほど、さすがだなあ、こういう列車時刻表を配り続けているなんて、それがこういうそば屋の壁に貼ってあるなんて、清閑さんならここでパチリと撮影をするところかもね、と思いながら、おれは写真に撮らなかった。

そばは、うまかった。ちょっと、おれとしては茹ですぎかなというかんじがあったが、ホンワカなそばの香り、舌にかすかに旨みがまわる、それにやはり水からくる感触がちょいとほかでは味わえない。うーむ、この水からくる感触を、どう表現したらよいか。「やさしい」かんじというか、舌触りが、サラッではなく、なめらかなのだなあ。それがそばのホンワカな香りや味とマッチして、いいかんじなのだ。

そして、二宮神社の二宮金次郎さんの墓へ詣でたのである。おれはかねてから二宮金次郎さんが、どうしてあのように神格化されてしまったのか疑問を持っていたのだが、その墓を見て、一挙にヒラメキ感覚は飛躍し、日本の職人の神格化や神秘化の構造まで、そうかそうかそういうことなのかと大発見の気分になったのだった。ほんと、やはり「現場」を見ることが大事なのだなあ。

おれはあまり詳しくはないが、とにかく二宮金次郎さんは、「元祖経営コンサルタント」といわれたりしても、プランナー稼業のおれとしては有能なプランナー、職人プランナーだと思っていた。現実主義者で合理主義者。それがなんでまあ神格化され、道徳や修身ごときの教材や銅像に貶められたのか疑問だった。しかし、その墓を見て、わかったのだ。なんとまあ、アキレタ、なのだ。日本の「歴史」は、ホント、お粗末、オロカシイ、としかいいようがない。

そこには、二宮金次郎さんが神格化された跡が、そのまま残っていたのだ。おれは二宮金次郎さん神格化の構造と、料理人や料理を神格化し神秘化する「構造」に共通性があると思っている。そのことは、そのうち書くことがある、かな?

ま、とにかく、今市のうまいそばも二宮金次郎さんの業績とは無関係ではないだろう。と思いながら、いい気分で、下今市駅から電車に乗った。

関東うどんそば紀行

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