松露は閉店しました。07年、ご主人も亡くなり、この45番街も地上げのため消えます。
(07年10月6日記)

●ブログから「松露」関連

2007/09/27「えっ、松露のじいさん、亡くなったの」…クリック地獄

2007/04/13「中野45番街やどやで、ゲリラアートグループ展」…クリック地獄

2004/10/29「不幸と幸と(松露のおばさん、復帰)」…クリック地獄



中野区中野45番街
<松露>の
ぶっかけめし定食







45番街入り口。松露は、「きよ」の角を左にまがる。


(03年12月11日掲載、04年3月6日、4月11日、05年7月4日改訂)

新宿のゴールデン街は、いかがわしさを失い中流文化人芸術家気どりの連中が群がるところとなったコンニチ、ここ中野の45番街は、ヒジョーに健全ないかがわしさをとどめる飲み屋横丁として、貴重な存在になった。

なかでも「松露」は、おれがイッチョカミしているゲストハウスが、このすぐそばにあって、「ご近所さん」ということでもあり、とくに03年の後半は大変お世話になった。

入り口の行灯看板にあるように、「お茶漬、味噌汁」は、ここのウリ。しかし「ぶっかけめし定食」というのは、いまここでおれが勝手につけた名前だ。

ナゼナラバ、左端のうつわのキャベツやキュウリをきざんだものに鰹節と醤油をかけて、めしにぶっかけて食べるというのが正しい食べ方の定食だからだ。一杯やったあとの、このめしと味噌汁が、たまらなくうめえ。

このぶっかけめしの開発者のママは80歳という高齢。元気にビールをグイグイ飲み、五つ玉のそろばんをパチパチはじいていたのだが、04年の年明け早々に倒れ、入院した。その後は、かなり年下のご主人が店を守り、ママは数ヶ月間療養し復帰したが、後遺症が残った。最近は週2、3日の営業、あいていたりいなかったりらしい。
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ママは神楽坂で生まれ、関東大震災のとき、たしか4歳で、阿佐ヶ谷へ越してきた。ここでは二番目に古く、戦後の40歳ぐらいのときの開店。と、聞いた記憶がある。とにかく、ブロードウエイができるまえからだ。

7、8人ぐらいのカウンターに、二畳ばかりの小あがりがあって、「むかしは、そこで飲んで寝て起きて、朝ごはん食べて会社へ行くお客さんが、しょっちゅういましたよ」

店名の「松露」は、焼酎メーカーの「松露」とは関係ないが、松露は置いてある。


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