カツオのシュンと八丈島

(04年5月3日版)

「初鰹」は、うまいのか?

八丈島の漁港のカツオ一か月前だったか、イヤもっと前か、食堂でテレビを見ていたら、グルメ番組をやっていた。うちにはテレビがないから、名前を覚えられないし覚える気もない、むかしからよくテレビに出ているタレントで、60歳ぐらいらしいのだが、最近若い女と再婚したようで、それを盛んにウリにしていた。グルメ番組で、そんなことをウリ話にする神経もおかしいが、こっちが聞きたくもないプライバシーをウリにしながら、離婚やなんかの自分に不都合なゴシップなどはプライバシーを盾に秘密にしたがるんじゃねえぞ、と思いながら見ていたが。

その番組は、そのおかしなタレントが、鹿児島まで行って、南の海から黒潮にのって群れをなして北上するカツオ、その先頭を切って本土に接近してきたカツオを、奄美の沖あたりで獲ったというやつを食べるものだった。ま、例によって、アレコレ能書きを述べ、そのタレントがオススメとかいう、飲食店で食べる。

今年、イチバン最初に本土で食べられる初鰹を強調しながら食べ、そして、トウゼン「うまい」という。そこで、おれは、それは単に、北上してくるカツオの先頭部分を食べただけのことで、まずくはないだろうが、カツオのいちばんうまい時期のものではないだろう、と、思ったのだった。

目に青葉山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお)

というのは、誰の句だったっけなあと調べたら、山口素堂さんの句だった。1642〜1716年の浮世にいたひと、芭蕉と親しかったそうだ。「青葉」も「松魚」も夏の季語。江戸期にはカツオのことを「松魚」と表記する例が多いね。

それはともかく、この句があるために、カツオのシュン、つまりうまいのは初夏というステレオタイプが定着したように思う。もし、この句がなかったら、もっと舌の感覚で判断しただろう。そして、カツオの身に脂がのった、俗に「もどり鰹」「下り鰹」といわれる、10月ごろのものがウマイということになるはずだ。もう、なにしろ、見た目からちがう。いまの時期のカツオは脂が少なく、その身は貧相なものだ。ましてや奄美沖の「初鰹」など……といっても、それを確認して食べたことはないから味は知らないのだが、脂のつきぐあいを想像すれば、カツオとしては、そんなにうまいものではないはずだ。だからまた、かつては土佐沖のカツオでつくられた鰹節は、カツオの脂が少ないがゆえに保存性がよかった。で、保存性がよいものだから、それは商売にとって都合がよいので「上等」ということになり、なぜか「土佐節」のダシはうまいという「伝説」までできた。味とは、関係ないのだなあ。

とにかく、山口素堂さんにしても、この句で「初松魚」がウマイといっているわけではない。季節感を表現したのだ。しかも、それは江戸の地の季節感である。それでも、奄美沖から2、3か月かけて、伊豆沖に達したころには、カツオには脂がのってくるわけだから、むかしの江戸っ子には、うまかったのだろう。

うまかったのだろうが、江戸っ子は、一年中カツオが食べられるようになったイマのように、うまいものを食べていたかどうかは、ギモンだ。なにせ冷凍冷蔵技術がなかったのだから。明治の正岡子規さんなんかでも、あの食べ物にウルサイ男が、ウジのわくカツオを食べているものね。

だから「シュンがなくなった」と嘆くひとがいるけど、一年中食べられるカツオは、じつは、シュンがあった江戸っ子より、1960年代前半ぐらいまでの東京人より、うまいものを食べている可能性がある。

とにかく、そういうわけで、山口素堂さんの俳句のおかげもあって、食べ物は、テレビタレントのようなステレオタイプの紋切り型の味覚ではなく、自分の舌で味わうべきだということを、カツオはよく教えてくれているように思う。ま、ナニゴトも、自分で考え判断することだね。

八丈島漁港セリ準備ここに、掲載した写真は、2002年3月17日か18日に、八丈島の漁港(名前忘れたが、町の中心部に近い、島でイチバン大きな漁港だったと思う)で撮影した。ちょうどカツオが陸揚げされ、セリが始まろうとしていた。カツオを、大きさで分け、セリの準備なのである。もちろん、ほかの魚もあった。

南太平洋から黒潮にのって北上するカツオは北上しながら成長し、3月ごろに奄美から土佐沖に、4月紀州沖、5月伊豆沖、6月房総沖、7月常磐沖、秋に仙台金華山沖に達し、そのあたりで黒潮は親潮にぶつかって東へ反転する、その流れにのったカツオが八丈沖で獲れる。例年、八丈島では、1月から3月がカツオ漁の最盛期だそうだ。脂がのって、イチバンうまいといわれるカツオで、「ブランドもの」というひともいる。見た目もうまそうだし、もう、タップリ食べてきた。大漁の日には、バケツで島民に配られるという話を聞いた。


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