浅草と浪曲と牛すじ煮込み (04年5月21日版)
本を読み、言葉や論理そして知識を身に付けることで、失うものがある。そのことに気がついたのは、いつのことだったか。もちろんそれは、おれの場合で、たぶん本の読み方も悪かったのだろう。
ってことで浅草へ行き、浪曲を聴き牛すじ煮込みでイッパイやって、よい気分になる。これは、まさに失った感覚的な飛躍の活性化のためによい。 コンニチ、さまざまな芸術や芸能の書を読んでいるひとでも、浪曲の鑑賞について知識を持ち合わせているひとは、ごくマレであろう。おれも、そういう知識はない。いつから芸術や芸能といわれるものを鑑賞するのに、あるいは食べ物や酒を鑑賞するのに、知識がハバをきかすようになったか知らないが、ほんらい食べ物や酒はもちろん、芸術や芸能は感覚的な飛躍を楽しんだり養ったりするものであって、知識などジャマなだけなのだ。 浪曲を聴いたことのないひとを誘うと、ほぼ必ず「浪曲についてなんにも知らないから、鑑賞の仕方を教えてください」ナーンテいわれる。おれだって知らないよ。知らないほうが、いいのだ。ただ肉体を会場へ運べばいいだけだよ、あとは肉体の感覚の反応にまかせることだと思う。 ってことで、浪曲。ちょうど、こんどの6月6日には、玉川美穂子さんの、「おはようライブ ほとばしる浪花節!」というのがある。浅草は木馬亭で、11時から12時、木戸銭500円。とくに浪曲が初めてのかたにはオススメ。なぜなら、玉川美穂子さんの浪曲は、文句なく楽しい、見ているだけで楽しい。おれも時間の都合ついたら行くから、見つけたら声をかけてください。 これ以上リクツはいわないことにしよう。浅草と浪曲と牛すじ、は、なぜよいか? それは、近年チマタにあふれる余計な誤った知識による「芸術」や「アート」から、そういう「芸術」や「アート」があることが素晴らしい生活であると思っている観念から、浅草も浪曲も牛すじもイチバン遠いところにあるからだ。 浅草も浪曲も牛すじも、とりあえず、いまのところ、まちがっても「芸術」だ「アート」だといわれる心配はない。心底、大衆モノ、である。そこに、感覚的な飛躍の可能性が、大いにあるのだ。 浅草というと、日本で唯一の庶民の古都である。京都だの奈良だの鎌倉だのは、権力者の古都で、権力者の化石みたいなものだ。空間は、化石化した権力者の、押し付けがましいもったいぶった観念であふれている。そこへいくと、浅草は、イマ呼吸している庶民の古都なのだ。 その浅草には、庶民的な食べ物がたくさんあって、「天ぷら」や「すし」や「そば」や「洋食」だのは、食通やグルメたちのクダラナイ知識のウンチクにまみれ、一部は高級化し、いまや古くからのもので真に庶民的な感覚が息づいているものというと、「牛すじ」「牛めし」をあげなくてはならない。とくに六区の場外馬券売り場周辺には、すじ煮込み、牛めしの店がたくさんあるね。 で、初めて、西参道商店街の「ふくちゃん」に入って、すじ煮込みを食べたときは、まさに感覚が飛躍したね。そのときは、佐世保から上京した食べものにうるさい食業の男と、すでに神谷バーでたらふく飲み食いしてから、前から気になっていたそこへ入ったのだったが、でてきた牛すじを一口食べて、2人で「これは、うまい!」とうなり、夢中で食べたのだった。 ああ、もう書くのがメンドウになった。 まだまだ浅草についても浪曲についてもふくちゃんについても書きたいのだが、今日は、ここまで。 そうそう、玉川美穂子さんの師匠、玉川福太郎さん。ま、大いに注目してよい人だが、いま「徹底 天保水滸伝」というのをやっている。「これが日本の語り芸 浪曲だ!!」。1回目は、すでに4月21日、木馬亭が立ち見であふれる盛況で終わっているが、2回目が6月29日だ。ゲストに井上ひさしさんを迎える。木馬亭で6時半開場、7時開幕、木戸銭2500円。大盛況なので予約を受け付けている。問い合わせ、projectf55@yahoo.co.jp いいかげんで、浅草というと「下町情緒」というステレオタイプはやめにしよう! 浅草で感覚的な飛躍を! うなる、うなる、うなる、ほとばしる、注目の若手、玉川美穂子さんは、「浪曲シンデレラ物語」など新作にも意欲的に取り組む。 ほとばしる浪花節!玉川美穂子のページ ザ大衆食│大衆食的 |