アケビ
たべたぞ うまかたっぞ 懐かしかったぞ

(04年11月29日版)

10月27日、ひさしぶりに、アケビを食べた。何年ぶりか、たぶん、20年ぶりぐらいかな? なんと、これが、大家の庭でとれたモノなのだ。

ここはさいたま市浦和区の住宅街。おれは大家の2階に住んでいる。ここが気に入っている理由の一つは、1階が大家で2階に2世帯だけの小世帯アパート、かつおれの部屋からは大家の狭くはない庭が見下ろせるからだ。借景つき借間というわけだな。

その庭には、いろいろな木々や草花が生っているが、アケビには気がつかなかった。大家にいわれて見たら、隣家との境の塀にからまるようにして枝と蔓がのびていた。オドロイタなあ、庭にアケビとは。それも都会の市街地の庭に。あれはゼッタイ、山にあるものだと思っていたのに。



大きいのは10数センチある、みごとなアケビ。さっそくかぶりついた。口の中にひろがる、あまい果汁。べたつかない、さわやかな風のような甘さだ。

アケビを食べると、子供のころ、故郷の六日町の坂戸山でアケビをとって食べたことを思い出す。口にふくんで、ムグムグとやり、種をプッと飛ばす。小学生、中学生、高校生、秋には一度はこれをやりたくなるのだった。

そのことは、新潟日報に連載の「食べればしみじみ故郷」のエッセイにも書いた。02年9月2日掲載、こんなぐあいに書いている。
  スーパーの店頭でアケビを見つけるたびに考える。どんな人が、どんな理由で買って、いつ、どこで、どう食べるのだろうかと。どうもイメージがわかないし、買う気が起きない。
  そもそも、アケビなどというものは、家の中で食べたことはない。採った山か、とにかく屋外で、大きな口を開けてガブリ、中の実を口に含み、むぐむぐもぐもぐと、たくさんの種の周りの皮のような肉汁をしゃぶるように食べる。そして、巧みに種だけを残し、最後にプッと勢いよく吐き出す。その種の量が多く、飛散すること。どう考えても、家の中で食卓の皿などに向かって、姿勢を正して食べるようなものじゃない。
  アケビは山になっているものをタダで採って食べていた。ほかにも季節によって、タダで採って食べていた実が、いろいろある。
  桑の実、野イチゴ、グミ、ナツメ、クリ、クルミ、山ブドウ。所有者がいたものもあったのだろうが、自由に採って食べても問題は起きなかった。
  桑の実や野イチゴや山ブドウは、採りながら食べ、さらに持ち帰って食べようと、ポケット一杯に詰め込む。ところが、家に帰りついたころには見事につぶれていて、衣服の色が変わっているということがよくあった。
  アケビは町の東にある坂戸山。上杉景勝と直江山城守生誕の地といわれる城址なのだが、その生誕の碑がある一本杉の周辺でよく採って食べた。
  小学五年生か六年生のある日には、いつも一緒に遊んでいる近所の連中と、わたしはカメラを持っていき、ススキの中に腰を下ろし、アケビをまさに食べようとするところを写真に撮ったりした。
  なんといっても、あの、最後に種を、ところ構わずプッと吐き出す快感も味わいだった。スーパーで売るようになって、食べ方も変わったのだろうか。
この大家にもらったアケビを食べたときは、種はそのへんに吐き出すわけにはいかず、台所のシンクのなかに飛ばした。イマイチ野趣に欠けるが、野生の味ではある、うまかった。

これで、アア、61歳の秋もすぎた。のだった。

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