フライ?文化フライ?フライ?

もとはといえば、カレーライスから始まった。ちがう料理法のものを一緒の料理にして歴史や味覚を語っているのではないか、という疑惑だ。てんぷら、ハンバーグ、タマゴサンド……おなじ名前でも違う料理法によるものがイロイロある。カレーライスも、そうなのだ。

まず最初に驚いたのが「行田のフライ」だね。このサイトの「関東コナモン連」からジャンプできる。これは、お好み焼きのようだが違う。地域によっては、「うすやき」「どんどん焼き」というもの。「行田のフライ」というのは埼玉県の行田という、そのフライの発祥地と思われ、さかんに食べられている土地の名前だ。埼玉県でも秩父のほうでは、単に「フライ」で同じものになる。

下谷神社の屋台のフライそれは知っていたが、吉村昭さんの『東京の下町』を読んでいたら、フライの話が出てきた。吉村さんが子供のころ昭和の10年前後だろう、吉村さんが育った東京は日暮里の諏訪神社の祭の露天の思い出。そこには、こう書いてある。「フライも揚げられていて、子供たちは、それをホーローびきの容器にみたしたソースのなかに、串をしなわせてひたし、歩きながら食べる」

ここを読んだとき連想したのは、大阪の串カツだ。しかし、「フライ」とある。これは、あの串カツのことなのか、どうもひっかかる。だけど、吉村さんは、それ以上は書いてない、まるでそれが当然のフライであるかのように。

気になるからインターネットで調べていると、ある日「文化フライ」なるものに出合った。当サイトのリンク先の「はすぴー倶楽部」の「絶滅寸前のこだわり商品」。東京足立区の西新井大師の縁日で50年近くつくって売っているおばちゃんがいる。これもいま「関東コナモン連」からジャンプできる。これが、どうも戦前の吉村さんのフライらしい。ナント、串カツの中身がない、あるいはコロッケの中身がない、平らなうどん粉にパン粉をまぶせて揚げたフライなのだ。

ま、詳しいことは、もっと調べてからにしよう。とりあえず下谷神社の屋台のフライだ。こちらのほうが吉村さんのフライに近いようだ。それに地域的にも隣接している。

フライこの下谷神社の祭の屋台で売っていた「フライ」は、西新井大師の「文化フライ」とおなじモノだとおもわれるが、微妙にちがう。それはタマネギを刻んで入れていることだ。それに文化フライは揚げてから串にさすようだが、こちらは串にさしてから揚げる串カツの要領。

溶いてある粉を容器にあけ、タマネギを刻んで入れ、白砂糖をドバッと入れ、棒状に練ってパン粉に転がし、ひねってちぎり手のひらで平にして、串にさして揚げる。タマネギがまざったコロモだけの串カツというか。

一個100円。客は、それを、細く切ったキャベツが浮いているソースの平べったい容器につけ、ちょっとキャベツをのせるようにすくいあげ、アグッとかぶりつく。見ているうちにガキが、ご婦人が、ご老人が、次々にやっていく。

100円玉を箱のふたらしきものに入れ、一本とる、ソースにつける、アグッっとやる、が次々にくりかえされる。いいリズム。つくる2人も口をきくひまもなく黙々とつくり続ける。ソースのボトルには、「ユニオンソース」とあった。

おれは、赤羽駅前の「まるよし」のタマネギフライを思い出した。ちょっと甘すぎだな、と思ったが、子供にはいいのかも知れない。

しかし、おもしろいなー。江戸期の天麩羅屋台の光景そのものではないか。自由、痛快、大衆は何を考え出すか想像つかない。こういうところに料理の源泉があるのだと思うね。それが「ナントカの誕生」といった料理史の話になると、大衆はただ料理本や料理人に従うだけのデクノボウになってしまうのだ。

ま、とりあえず、そういうことで。また、この件はいずれ。

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