早稲田学生街の大衆食堂
セドローさんのレポート (03年10月24日版) げっ、大分たってしまった。早稲田の古本屋のセドローさんから早稲田学生街の大衆食堂レポートをもらったのは7月末。遅くなってスマン。これに懲りず、さらに大めしレポートお願いしますっ! みなさんも食堂のレポート、お願いしますっ! セドローさんからは、この前に、やはり早稲田学生街の「話題の」?大衆食堂<公洋軒>のレポートをもらっている。「ヨッ大衆食堂」にあるから>>>こちらも見てください。 かつて大衆食堂というと即、「駅前」や「学生街」がイメージされる時代があった。いつごろから、それが変わったかというと、どうやら80年ごろを境にしているのではないかと思われる。さらにバブルを経過しながら、都心の大学は、どんどん都心や東京を離れるようになって、街自体も変わったが、学生も変わって、学生街と大衆食堂の関係はアブナクなっていく。 今おれの手元には古本屋で見つけた、『月刊アングル』82年6月号がある。中高年の方は、よくご存知の雑誌だと思う。主婦と生活社発行で一時は、それなりの勢力を持っていた東京タウン情報誌だ。 メイン特集の一つは「東京グルメストーリー」。「一億総グルメ」といわれるのは85年ごろだが、「グルメ」という言葉は、80年ごろから急激にハヤリだしたのだ。しかし、うへー、「感激の…青春酒場」なんていう見出しがあるぞ。青春酒場! ほかに「人気の…飲茶」「安上がりの…バイキング」「花盛りの…地中海料理」「洒落てる…串揚げ」「クールな…カウンターバー」などがならぶ。 で、この号のサブ特集は、「六大学・学生街タウンマップ」なのである。早稲田の早稲田、三田の慶応、池袋の立教、お茶の水の明治、市ヶ谷・飯田橋の法政、本郷の東大、というぐあい。 簡単に言うと、一番変わってないのが、早稲田の街だ。82年以後、バブルがあったけど、その痕跡も比較的少ない。だいいち、映画館は残っているし、セドローさんたち古本屋のみなさんも「早稲田青空古本市」を続けているほど健闘している。個人経営の店も多く、路地を入ると、古い木造家屋もあり、「神田川」貧乏情緒が漂うところもある。 もちろん早稲田大学は貧民の入れるところではなくなったし、一部の学生は「合コン」をダシに、金儲けとナンパ強姦に血道をあげるほどになったのであるが……。早稲田大学に限らず、学生たちのそういう快楽ナンパ主義なキザシは、この『月刊アングル』にも見て取れる。 ま、そんなバカ大学生のことは、どうでもええ。とにかく、かつての学生街の実用実質精神の、そしてどことなく武骨でイカガワシイがそれゆえ実直そうな、花も実もある学生街の大衆食堂を偲ぶには、早稲田である。そういうことで、くりかえすが、公洋軒につづき、セドローさんのレポートなのだ。 写真とコメントはセドローさんです。 |
「勝芳」 一番大事な入り口の前に必ず車が置いてあって、 入っていいのかわからないステキな店。 ちなみに向かいには「高木ブー邸」がある。 |
「稲穂」 この店は「公洋軒」の4,5軒横にある店です。 作りは「公洋軒」よりボロボロなのですが、 こちらは人が入ってます。謎。 |
「ワセダ菜館」 メニューが多い。ほんとオーソドックスなお店です。 早稲田通りに面しているいい場所なのに いるのは学生時代から早稲田です!というような大学関係者ばかり。 やっぱ学生は馬場の「大戸屋」なのかなぁ。 |
「三品食堂」 学生しか食えない店。 「かつ・カレー・牛丼」を自在に組み合わせて食べれる食堂。 「カレー牛」も「かつ牛」もOKです。 |