■カウボーイめし物語 おれと同じ1943年生まれの一人の日本人男が、1960年代なかごろ、大学を卒業と同時にアメリカへ渡り、そのまま。永住権を得て現役カウボーイで暮らしを立ている。コロラド州に住んで、もうからない牧場も持っている。名前は、ケン・イトウさん。 最初は『ぶっかけめしの悦楽』を読んで手紙をくれた。彼の手紙は、とても楽しく面白いので、「カウボーイめし物語」として、ここに掲載することになった。どうかみなさん、おれと一緒にお楽しみください。ガツンな男のガツンなめしと笑いと涙?の物語。ほんの一部をのぞいて、なるべく原文のまま掲載します。(2002年5月13日記) 手紙5 やっぱりご飯だ (04年9月1日付、9月25日掲載)■■■ またもや、ひさしぶりにコロラドの山奥のカウボーイ、ケンさんの手紙を掲載する。今年に入って二度目の手紙になるが、『汁かけめし快食學』を読んで、めしとみそ汁を食べたくなったらしい。 掲載してないが前回の手紙には、「日本のご飯と味噌汁というのは、コロラドでは贅沢ということは、前にも説明したと思いますが、最近山を降りてDenver の 日本食糧雑貨店まで買いだしに行く暇がないので、そんな贅沢な日本食は、一切食べてません。 もうスパゲッテイー、サンドイッチ、ピザなどばかりの生活です。 おこーこなんて、また食べてみたいとタマに思いますが。 まあそんなことを考えたらやっていけないので、あるもの、手当たり次第食べてます」とあったのだが。
パソコンを導入したケンさんの手紙は、前回からワープロで打って印刷したものになっている。日本語を忘れないように、日本語の本を読み、日本語の手紙を書くようにしている、というケンさんだが、手書きじゃないと、やはりちょっと文章の調子や言葉がビミョウに日本語離れする感じだ。コリャ!、手書きにしろよ! とはいえ、日本の日本人でも、最近ではワープロの手紙が多くなったからな。ま、貴重な汁かけめし食べて、60歳すぎた身体にガツンとカツをいれ、元気にやってほしい。 しかし、ワレワレ日本在住日本人が、めしと味噌汁はいつでも食べられるのに、インスタントラーメンなどに惰性的に流れてしまうなんて、やっぱ、「堕落」かな? といいながら、これからインスタントラーメンをつくって食べます。 ■ 手紙4 ロディオ転戦の巻 (2003年7月25日付、8月8日掲載) 久しぶりにケンさんの手紙を掲載する。といっても、この間音沙汰ナシだったわけじゃない。一年前の落馬骨折の手紙のあと、たしか9月だったと思うが、ケンさんは仕事で日本に来て、東京の滞在先のホテルで会ったりもした。そのときは、まだ骨折が完治してなくて、片方の肩が下がり、握手にも力が入らないアンバイだった。ケンさんは熱心に、どこのメーカーの電気釜がイチバンうまくめしが炊けるか調べていた。うまいめしに対する執着は、想像以上だった。帰国後しばらくしてから、よい電気釜がみつかったと手紙があった。 あれからアメリカは戦争をし、戦争になったときも手紙をもらっているが、ま、とにかく、元気になって、ロディオ転戦の生活らしい。ケンさんのロディオの写真を頼んでおいたら送ってきたから、手紙と共に掲載しよう。 こっちだって、しょっちゅう寿司を食べているわけじゃなし、こったモノを食べているわけじゃないのだが……。酢タマゴは、まだやったことがない。しかし、昨年のケンさんの手紙にも「氷あずき」のことが書いてあったが、よほど忘れられない一つなのだろうか。なんにせよ、60歳で、このロディオ暮らしはけっこうキビシイようだが、ケンさんはけっこう満足しているのである。 手紙3 落馬、骨折の巻2 (2002年8月29日付、9月8日掲載) ケンさんから、落馬、骨折を知らせる手紙が来たので、お見舞いの手紙を出したら折り返し返事があった。
ケンさんの前回の手紙にも氷あずきのことが書いてあった。よほど懐かしいらしい。30数年前に渡米したひとは、その後も日本人は順調にかき氷を食べ続けていると思っているかもしれないが、じつは違う。あのころと比べると食べなくなった。今年の夏、おれはついに、かき氷を一回も食べなかった。すまん。 手紙2 落馬、骨折の巻 (2002年7月21日付、9月8日掲載)
手紙1 渡米そしてインチキらーめんの巻 (2002年5月5日)
注2=戦後一時期、占領軍とくにアメリカ軍人の愛人役あるいは娼婦役を勤めるひとを世間では「パンパン」とか「パンスケ」と呼んでいました。当時の風俗でしたので、その言葉のまま掲載します。 ケン・イトオさんからの最初の手紙の要約 (2001年3月某日)
注1=『ぶっかけめしの悦楽』のこと。 このケン・イトウさんからのくだらない手紙から、おれとかれとのくだらないつきあいが始まった。 ザ大衆食トップ│大衆食的 |