大衆食堂の暖簾(のれん) 大衆食堂の暖簾は、なぜ長い、あるいは「長かった」のか むかしの飲食店は外から中が見えないのがふつうだった。 それは、出入り口の戸が中の見えないガラスのうえ、さらに丈の長い暖簾が下がっていたからである。 いまでも長い暖簾の下がった大衆食堂がある。出入り口の高さの半分ちかい丈の暖簾。 これがあるために恐れをなして大衆食堂に近づかないひともいる。この長さは「暖簾わけ」という言葉にあるような、暖簾の精神的価値経済的価値というより、機能的価値人間的価値に由来する。 竹屋食堂のオヤジは、まだエアコンがついてなかった数年前だが、こう言った。「うちは夏になると、戸はみんな開けはらっているから、丈の長い暖簾じゃないと、なかで食事しているひとと前の歩道を歩く人の目線があってしまうんだよ」つまり、そういうこともある。 そういえば、江戸期の商店の暖簾は大きいものが多い。むかしはエアコンなどなく、道路は舗装してなかった。寒いとき以外は、戸をあけはらって営業した。 ひとつはホコリが舞い込むのを防ぐために丈の長い暖簾をかけたということもあるが、これは、飲食店にかぎったことではない。飲食店の場合はさらにそのうえ、食べている姿を通行人にさらさないという人間的な深い配慮があった。 いまでは、わざと食べている姿が外から見えるように店をつくり、客を選び、とくにリッチそうなオシャレなペアを、外からよく見える席に案内するようになった。 おれも飲食店の開店プランなるものをいくつか手がけたことがあるが、そのようにやるのがイマ風なのである。客を店のイメージづくりに利用する。 すると客の方も、「ほーら、私ってどこにでもあるような高級そうなイメージの店で、かっこうつけてコーヒー飲んだり食事したりしているのよ、見てみて」とのってくる。ま、スタバなどは典型でしょうね。 飲食している姿を人目にさらすようなことはイケナイ恥ずかしいこと、そこには飲食を「動物的行為」として卑下する見方もなくはなかったが、主に儒学の影響を受けた知識階級上層階級の伝統であり、庶民のあいだでは食事を生きる儀式として大切に思う人間的な美学として受け継がれてきた。と、いえるだろう。 そういう意識は店の側にも客の側にもうすれてきた。が、しかし、これは自己を失った市民のあいだでのことで、流されない生き方の庶民のあいだでは、そのようなことはない。いま竹屋食堂はエアコンがついているが、暖簾はむかしのままだ。1960年代には、これより長い暖簾がふつうだった 下の写真は東京台東区上野駅地下の地下鉄銀座線上野駅改札前の食堂[おかめ]である。 こうやって一年中、戸はあけはらって営業している。(この食堂は02年11月、ここから退去させられました) 写真上は外から見たところ。 ふつうの大人の背丈だと、目線の位置からは中が見えない。 写真下は中のテーブルに座った位置から。 自分の姿が通行人から見られることはない。 しだいに短くなる暖簾 ま、そういうことで、エアコンつけて戸をしめて営業するようになれば、暖簾は単なる飾りになる。どんどん短くなった。大衆食堂でも、短くなっている。だがしかし、あいかわらず中がのぞけないところが多い。下の写真は東中野食堂。かなり短い。しかし外から中は見えないガラス戸になっている。 写真下は東京新宿区JR大久保駅ちかくの[ふじや]。このように古い大衆食堂でも、中が見えるように戸のガラスを透明にして、やや長めの暖簾の一部を上にまくりあげておくところもある。暖簾は手でさっとわけて入るのが、「さっ、めしだ」という前戯みたいで、なんとなくイキな気分でよいというひともいるし、あれが顔に触るのが汚らしくていやだというひともいる。 (2001年12月25日版) |