ことぶき食堂

なにがあったか「ことぶき」

(04年1月30日追記)

昨日、04年1月29日だが、6時過ぎにことぶきの前でオドロイタ。店の様子が、かなり変わっているのである。のれんも、店名こそ同じ「ことぶき」だが、「キッチン ことぶき」と書いた、洋食屋さんポイかんじにし、近頃のそのテのカフェー風洋食屋のつくりの店の前にある、キャンバスに手書き風の「おしながき」があって、料理がまずそうに見える写真までベタベタ貼ってある。

メニューも以前と、まったく変わり、しかもかなり増えている。全体が「女の子っぽい」のである。かいま見た店内も、テーブルの配置は同じで、つまり2台づつ並べて合計4台であるが、ナント、その上にピンクの柄のビニールが、かかっているのだ。やたら「女の子っぽい」。かつての大衆食堂らしさは、まったくない。

「うーむ、かなりムリしているなあ」の印象。それだけ観察して、ただただ驚き、「なにがあったんだろうなあ」と思いながら、先に行く予定があったので、その場を去ったが、どうしたことだろう。経営者が変わったのか、現場の「実力者」が変わったのか、それとも「脱大衆食堂イメージ」の方針でいろいろ工夫しているのだろうか。はたして味のほうは…?

たかがサンマの開き定食がうまい!と目覚めたワタクシ。

東京都中野区中野5−60−2
参考リンク

(2002年10月25日記)

もともと、おれはズボラだから、食事をしながら日本一うまい定食の発見のために、眉根にしわよせ繊細な舌を使い仔細な検討をするフリを、するほうではない。おおよそ、普通のものをうまく気分よく食べられれば満足で、全部よい店になるのである。だが、ここのサンマの開き定食は、初めて食べたときからチト違った。

ある日ふらりと入った食堂で、ま、どちらかといえば好物の、ごく普通のサンマの開き定食をたのんだ。で、ま、出てきたとき、チラリと見て、うむよい焼き加減だな、とは思った。だが、たかがサンマの開きである、すぐハシをつけた。それで、ま、たかがサンマの開きだと思って食べたのだが、どうもチトなんだかよい味なのである。だが、どう見ても普通のサンマの開きなのである。おかしいなあ、うまいなあ、と思いながらあっというまもないぐらい、素早く食べてしまった。当時は、めしをガンガンくえたし、食べるのも早かった。

で、なんだか焼き方がちがうのかなあ、そういえばなんだ、身がほくほくしている焼き加減だったなあと思い、とにかく、また入ってみたのである。そのころは中野へよく行っていたものだ。で、とにかく、たかがサンマの開きも焼き方しだいらしい、ということに気づいたのが、ここ<ことぶき食堂>だったのである。たしか、おれはまだ若い40代前半の1985年ごろだったと思うが。

東京オリンピックの1964年に阿佐ヶ谷から現在地に移転した。そのころのままの風情の、テーブルも古いデコラの4台だけ。各種定食は、どれもうまくて安くてガツンのボリューム。天ぷら定食もグッド。そういうわけで、『散歩の達人』1999年8月号の中野・高円寺特集で、大衆食堂のページの協力を頼まれたとき、当然ここを選んだのだった。

ちなみに、それは「街の大衆食堂二元論」というもので、高円寺の福助、団らん、いこい食堂、中野のやしろ食堂(その後閉店)とことぶき食堂の五軒あげて、外から中が見える食堂と見えない食堂にわけた。

ことぶき食堂は当然むかしの大衆食堂らしく、外から中は見えない。が、しかし、ギャルで混雑することもある、人気の食堂なのである。もちろん気さくなご家族で、気分よくめしがくえる。けっこう、けっこう。

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