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ジャック・バローさんのお言葉

(2002年11月4日記)

ジャック・バローさんは『食の文化史』(山内昶訳、筑摩書房)でこう述べている。

両親や友達との多少なりと陽気な食事でかわされるおしゃべり、思いつき、楽しさの一体感は、わかちあう喜びのなかでも一番根本的で、同時に最も単純で豊かなものだという事実はいたるところでいぜんとして存続している。

だが、日本の現状では、「いたるところでいぜんとして存続している」には疑問符をつけたい。たとえば、とくにB級グルメに人気らしい、「行列のできる」ラーメン屋でみかける光景などは、これとはほど遠いように思う。そもそも「陽気な食事」という雰囲気ではない。おしゃべりも楽じゃない。

およそA級だろうがB級だろうが、「グルメ」たちは、こんなことより自分の舌自慢、食い倒し数自慢に関心があるようだ。彼らが口にするのは自分は「うまいもの好き」「うまいもの知り」ということにすぎない。食事に関して、なにか価値ある発言をしたことがあるだろうか。

そして一方で、料理の消えた台所や家庭が増えている。日常化する家族ばらばらの食事。食事のときに子供や家族となにを話してよいかわからないおとうさん。ホテルの食べ放題ランチグルメは好きでも、食事のしたくが楽しくないおかあさん。

先日、近所の中華屋に夜の11時ごろ入ったら、高校生ぐらいの娘一人を連れた家族が隣のテーブルに座った。約30分のあいだに、家族三人が口をきいたのは、最初の注文を決めるときだけ。娘はすぐ携帯電話をカチャカチャやりだした。とくに不和がある様子もなく疲れた様子もなく、チト知的サラリーマン風おとうさんとチト知的主婦風おかあさんは、おだやかな輝いた表情で黙ってビールを飲み料理をつついていた。そりゃまあ、好き好きだろうけど。ちょっとねえ、こっちまで寒々とした気分になりそうだった。

ところがねえ、竹屋食堂へ行けば、たいしたものはないけど、とにかく、おしゃべりしながら、楽しく食事ができるのだからねえ。まさに「単純で豊かなもの」ですよ。でも「知的なお客さま」や「グルメなお客さま」は見かけないね。あはははは、当然か。物知り顔の複雑なウンチクを傾けながら、食べ物と実務的サービスだけで飲食店を評価する、食文化の貧困が流行だからなあ。

いえね、グルメは悪くないけど、憩いや楽しい団欒という基本の食事文化がなければ、虚しい消費ごっこにすぎないだろうということ。