吉田謙太郎さんのスペシャルレポート

初めての感傷的な竹屋食堂体験記


同じ食堂へ行っても、ひとによって、ずいぶん見方や感じ方がちがうものだ。それを、ひとつのモノサシにあてはめて、どこがイイかワルイか、どちらがウエかシタかなんて比較するのは、こと大衆食堂についてはナンセンスである。なぜなら、大衆食堂は、もっともローカルな存在で生身の生活や人生に近い存在だからだ。

リクツはめんどうだ、ここに、吉田謙太郎さんの初めての竹屋食堂体験記を掲載する。おれはタイトルにあえて「感傷的」とつけた。読んでもらえばわかるだろう。この竹屋食堂を初めて訪れた、「市民的」のみなさまは、このような感傷をもちやすい。その意味で、彼は「平均的市民」感覚の持ち主といえるかもしれない。ま、ともあれ、彼の体験記を、ご賞味ください。この文章は、吉田さんが自分で管理人をしている掲示板に載せたものだ。それを本人の同意を得て、そのまま転載する。(このサイトはなくなった)

彼は、ふだんは、この文章からは想像つかない、固いガチガチの文章を書く仕事をしている。人物は、この文章より、はるかに軟派である。別の「松尾食堂」のレポートをしている、ナカ☆さんとは対極にあるといっていい、とても「平均的市民」とは思えないほど、救いようがない非知的にして優れて感性的な堕落者だ。


竹屋食堂を御存知ないかたは、クリック地獄




「崖っぷちの男達が足しげく通う故郷、竹屋食堂」吉田謙太郎

(吉田謙太郎さんは、誤字脱字の多いことでは自他ともに認められているところです。気にしないで、意をくんでお読みください)

故郷性を感じる店だっけ? 僕の故郷=人々、という論理を使うならば、先日エンテツさんに無理やり連れ込まれた「竹屋食堂」がある。これは、皆さんも一度行かれたらいかがでしょうか? 実は、竹屋食堂は、人生を感じる事の出来る店なんです。エンテツさんの大衆食堂を見て思う気持ちが少しですがわかったような気がしました。エンテツさんの本を読めばすぐにわかることなのですが、僕読まないです。実はHPもじっくり読んでないんです、えっへへへへ。まっ、許せ、今度読むからさ、

席は4人テーブルが4個ほどかな?忘れた。食堂の広さは3坪程度しかない。しかも、まぁ兎に角く古い古い、40年はそこで店をやっているらしい。外見は当然汚い、トイレも何故だか表を出て裏に廻ってタレ流してくる(遠藤注=男用の外から丸見えのトイレ)。女はどうすんだろう? 来るわけないか、女なんか、そんな店です。

店全体が汚いといっても、僕が昔、武蔵小杉の街で、やっていた店に比べれば、そらもう別荘のようだった。僕の当時の店は浮浪者すらも寄り付かないくらいだったからね。まぁ、これはいつの日か話そうじゃないか。とにかく、竹屋食堂は、僕にとっては超羨ましい店の作りだった。

もちろん、母屋とも繋がっているわけだから、夫婦仲良く(これ想像ね)、そこで暮しながら細々と食堂を営業している訳だ。昔はこの辺りも、人々で賑わっていたらしい。カキ氷を店頭でやれば行列ができて、ラーメンを出せばたちまち大ヒット。そんな時代もあったみたいだが、今じゃ、恐らく一日売上はゼロから5000円かな? 客単価は1000円だな。昔の僕の店と比べると、勝ったかな?あはっはは、つまんない比較すんな!ってエンテツさんに怒られそうだ、失敬!

まず目に付いたのが、関東ではめずらしく、ガラスウインドウの中に、すでにおかずが皿にもって並んであることだ。大阪ではあれが一般的で、何も驚きやしないけれど、東京では初めて見た気がする。・・・でもないか?まっ、どうでも良い。

ガラスの中を覗いてみると、なんだか色の褪せたご飯のおかずが並んでいた。パッと見た感じでは、合羽橋で売られているような食品サンプルみたいな感じがした。艶もなければ湯気なんぞあるはずがない、揚げ物は、クタッとなって、なにやら沈み込んでいる、「おいおい元気出せよ」っていいたくなる。

僕は、ついつい、色の悪い、焼豚らしきものを親父に頼んでしまった。僕はどこの店にいっても誰に連れられていっても遠慮なんかせずに、自分勝手に頼んでしまう。なんといっても、僕のオーダーの速度たるもの、あ〜らびっくりの速さだ。おっと、そんなことはどうでもいいか。

まさか、それがサンプルであって、これから親父が料理するわきゃねぇだろって思ってたら、本当にそのまま出てきたので一安心だった。親父によれば、それは焼豚ではなく鳥肉だそうだ。鳥だなんて、喰わなきゃ、わからんかったぞ。美味い訳がない。でも、腹がすいておれば、ごはんに味噌汁におしんこで僕は充分だけどね。

そんなところです、竹屋食堂は。美味いものを食いにいくでなし、その街を見物に行くでなし。そこは人生を語りに、そして人生を語る男達を見に行く場所だ。食い物はどうでもよろしい。酒はその人生の話しの肴だ。それを仕切るのが、あたたかい表情をもつ親父さんと、いつもニコニコの大福もちのようなおかみさん。

エンテツさん曰く、竹屋食堂にいけなくなったら、あとはホームレスだそうだ。確かにそうだと思った。食堂で人生をたっぷりと語らいだ後、店に入ってきた入り口から帰れる人は、またこの店に遊びに来れる。ホームレスになる人は、店のお勝手口から背中を丸めて帰っていきそうな感じ。お勝手口は、空虚で、色も、温度もなにもない灰色の世界への入り口かも。

そう、竹屋食堂には、人生の生活の悲しみを背負った人たちが、フラリと寄る場所なのです。西日暮里の改札からそう、徒歩5分程度と近場にはあるけれど、西日暮里そのものがもう廃れた街だ。たしかに駅周辺10〜20m付近は、それなりの店が建ち並んではいるけれど、竹屋食堂方向に足を伸ばせば、廃墟の街へむかっていくような、そんな世界への入り口を思わせるような街だ。偶然そのあたりをフラフラしなければ、竹屋食堂の存在すら確認できないだろう。

街灯も悲しく薄暗く、ドス暗い路地に面する寒々とした店の中で、妙に明るく機関銃のようにしゃべくる親父さんと、遠くで母親のように、つまらない自慢話にもニコニコ顔で耳を傾けてくれるおばちゃんに逢いに行くところなのです。人生の崖っぷちを、フラフラと彷徨い歩きながら、いつ朽ち果てるともなく、すれすれで生き抜いている男たちが、都会では味わえそうもない、人の心の暖かさを感じるために来る店なのです。まさしく、都会の端っこに流れる人生の河ですなぁ。

男達は、誰もが淋しがり屋。エンテツさんも淋しい時期があったのでしょうね。そんな時に、出会った地方の大衆食堂で、荒れた心を洗ってもらったのでしょう。人生を大衆食堂に助けれらたに違いありません。だからこそ、「大衆食堂の会」とかいって、世間の恥さらしのような事やって、大意集食堂に恩返しをしているんじゃないかと、そう僕は想像しています。ま!たんなるスケベあほぅの親父に過ぎないかもしれなせんが。

竹屋食堂を訪れる男達は、あの店を東京の片隅に隠れる自分たちの故郷にしているのです。その故郷には、いつだって、自分を暖かく迎えてくれる父母がそこにいて、自分の話しを聞くために待っていてくれる、そんな店なのです。一度、みんさまも、崖っぷちの男達が足しげくかよう竹屋食堂にいってらっしゃいませ!こんなことを書いた後に、下手な詩が頭を過ぎりました。

「故郷たちよ」

東京の街には人の心がないだなんて
愛でないものがあるはずない
今居る場所が運命だと時に泣いても
いくつかの雨がいきすぎれば
笑顔がそっと温かさがグット心に沁みる
愛しき故郷たちよ
いつまでも俺たちを待っていておくれ

昨日争そって砕けたこの心の祈りが
世界の後ろに落ちていこうとも
今はここで休めばいい明日のために
燃ゆる思いがまだ残っているなら
大切なものを大事にしつつ激しく語れ
愛しき故郷たちよ
愛でないものがあるはずがない

愛しき故郷たちよ
大切なのはこの街の人々の魂
愛でないものがあるはずがない

(2001年秋記)


ヨッ大衆食堂