魚野川

魚野川と坂戸山
2002年4月7日 魚野川と坂戸山

「魚野川」という名前が好きだ。
この「魚」に対して「野」が絶妙だと思う。
「魚の川」でもいけないし、「魚ノ川」でもいけないし、
「魚乃川」でも「魚之川」でもいけない。

ま、すまんが、魚野川が下流で合流する「信濃川」や、
それと並んで新潟の大河で有名な「阿賀野川」といった、
風情のない名前と文字に比較してみればわかるが、
この名前のすばらしさは、自然のすばらしさ素朴さ、そのものだ。

とくに六日町の町中で生まれ育ったものにとって、
坂戸山と魚野川は一対で切り離しがたいであろう。

おれのいちばん古い記憶では、
2歳年下の2歳で死んだ弟のオムツを、
親父が魚野川で洗っている。
そのそばでおれは石でダムをつくりメダカを追い込んで遊んでいる。
そして、しゃがんだ姿勢のまま見上げると、おおいかぶさるように坂戸山があった。

「うさぎおいし、かの山、こぶなつりし、かの川」という歌がある。
坂戸山では、残雪期の雪渓の上でうさぎを追った。
魚野川では、こぶなつりをやったことはないが、かじか突きはよくやった。

かじか突きは、自転車の車輪のホークを加工して、かじかを突くヤスをつくり、
ガラスのかけらを一枚、持って出かける。
そして坂戸橋のすぐ上手の広い浅瀬に入って、
左手にガラスを持って上流にむかって川の流れにあてると、
小石が重なり合う美しい川底がくっきり見える。

右手はヤスを持って川の中に入れたままだ。
移動しながら、川底の石のように見えるかじかを探し、見つけるとすぐヤスで突く。
ときどき視界のなかであゆが踊った。

いつもけっこう突くことができて、持って帰ると母が砂糖醤油で煮てくれた。
煮かたがへただったのか、それほどうまいものではなかったように思う。
小学高学年になると、いつのまにか、やらなくなった。

夕方、土手を散歩するのが楽しみだった。
西の山の夕陽の眺めもよかったが、西に傾いた太陽が坂戸山を照りつけ、
春から初夏には、見上げる坂戸山の新緑が鮮やかに輝き、
そして秋は燃え上がるような紅葉が、すばらしかった。

中学を卒業し高校を受験した年は暖冬で降雪が極端に少なく、
高校の合格発表の日は、たぶん3月だったと思うが下駄を履いていた。
合格のよろこびに家でじっとしていられず、
なんとなく町中をうろうろしていると、
なんとなく同じ数人が集まって、魚野川の土手に出た。

土手も坂戸山も枯れた草木で、ベージュのモヘアをかぶったように、
柔らかな優しい装いをしていた。
晴れて暖かく、土手の枯れ草が匂いを発散させていた。
それは魚野川の水の匂いや土の匂いと混ざり風にのって流れ、心地よく身体を包んだ。

おれが持っていたカメラで写真を撮った。
当時のことだからモノクロだが、みんな笑って、
周囲の景色までおだやかに笑っている感じに写った。

転々としているうちに写真はなくなったが、
あのときの笑顔や匂い立つ景色は、はっきり覚えている。
いちばん印象に残った、魚野川の岸辺の日といえる。

(2002年1月26日記)



魚野川土手

魚野川の変わりようを見れば奇跡的としか思えない。
ここに書いた土手と同じであろうと思われるところが、そのまま残っていた。
4月7日は、汗ばむほどの陽気で、なにもかもあの日のようだった。

(2002年4月20日記)

遠藤哲夫の地位向上委員会