『大衆食堂の研究』(1995年刊行)のころの大衆食堂
写真は1993年か4年
当時を思い出して書く
(06年3月19日大改訂)

「裏」新宿としての渋谷の外れの一隅

あじろ食堂と都民食堂

新宿駅西口を出て、西へ向う。途中から甲州街道と平行している北側の広い道路を行く。山の手通りにぶつかる。わたる。すると住居表示が、渋谷区になる。渋谷区は新宿区の南のはずなのに、西へ向っていてナゼ渋谷区になるのか、とまどう。でも、そうなのだ。渋谷区でも京王線初台と幡ヶ谷と笹塚の北側の一部は、新宿の西に位置するのだ。

なかでも、渋谷区本町という地名なのに、渋谷区の外れであり、かつ新宿西口高層ビル街の裏にあたるこの地域は、バブルなどなかったかのように、木造2階建ての建物が密集していた。よって、おれは『大衆食堂の研究』で、このあたりを「山の手新興ジャンク地帯」と呼ぶことにした。都心にありながら、都心にはじきだされたか、都心を窺うものたちが棲息しているような。

その一隅に、小さな飲食店が肩を寄せ合うように並んでいた。右の写真、左上角の背後に薄く見えにくいが、新宿高層ビルが写っている。

大衆食堂の暖簾の下がる「あじろ」、その左隣も同じ大衆食堂の暖簾が下がる「やじま食堂」。どちらも狭い小さな食堂だ。この手前には焼肉などの飲食店があった。1階が店舗で2階が住まいの長屋式が多い感じだった。

『大衆食堂の研究』には、つぎのように書いている。

『あじろ』――大衆食堂ののれんが下がるいかがわし度2。東京・渋谷区本町。えっ、ここが渋谷と思う、新宿西口の高層ビル群を望む山の手新興ジャンク地帯にある。おじさんが伊豆の網代出身だから『あじろ』。愛しているね網代を。カウンター数人に四人の座敷テーブルひとつ。間口一問の小さな店だ。それなのにメニューは六〇種くらいある。サーロイン・ステーキからナス焼まで。渋谷区本町二‐四七。となりはいかがわし度2の『やじま食堂』。小さいのが並んでいる。

「やじま食堂」には入ったことがない、どちらかというと洋食メニューが中心のようで出前もやっているようだった。あじろ食堂に入ったのは、夜だったから、この写真を撮った日ではなく、別の日だろう。

「大衆食堂」の暖簾を下げていても、しっかり板前修業をしている最中に、いろいろなワケがあって飛び出して、あえて板前が蔑むチマタの食堂を営むひとがいる。ここは、あきらかに、そのように思えるフシがあった。料理が、気どってはいないが、プロのものだった。フツウではないのだ。

となると、飲み食いしながら、いろいろ、どういう事情があったのか想像し、一緒の仲のよさそうな奥さんが、もと仲居風だし、もしかすると兄貴分の恋人かなんかを横取りカケオチだったりして、うふふふ、くそ、このやろう、やるじゃないか、とか勝手にロマンを描きながら過ごすのも、また楽しいね。

出身地の網代の話をするときの、やさしそうなうれしそうな顔が印象的だった。東京に同化できなかった、かといって故郷では食べて行けない一人なのかも知れないと思った。

この位置からの最寄駅は京王線初台駅になる、そこへ行く途中の甲州街道沿いでは、第二国立劇場の工事が始まっていた。

その後は行ってないから、いまはどうなっているか、わからない。

あじろ食堂のある、本町を、さらに西へ行くと、渋谷区幡ヶ谷である。本町に比べるとジャンクな風情は、やや薄らぐ。京王線幡ヶ谷駅が近い。

そこで見つけた都民食堂。暖簾はあじろ食堂と同じ、よく見る既製品の「大衆食堂」の暖簾だが、名前が堂々たる「都民食堂」である。もしかして戦後の民生食堂のなにか名残りかと思ったが、そうでもなかった。

外に貼ってあった手書きのメニューの最初に、ハムエッグ定食450円というのは、当時は安い方だった。「おっ、安いな」と思い、とにかく金もなくて腹も減って、それに暑い昼下がり歩いて疲れていた。入ってみた。間口の割には小さな店だったと思う。自分が草臥れていたせいか、店もそのように見えた。



そして、ハムエッグ定食を頼み、それで、例によって、ハムエッグをめしの上にのせてかきまぜながら、かっこんだ。そして元気が出た。タメになる食堂だなあと思った。

『大衆食堂の研究』には、つぎのように書いている。

『都民食堂』――山の手新興ジャンク地帯、渋谷区京王線初台駅からかなり歩く。表示された食堂の定食セット値段では、ここのハムエッグ定食四五〇円は最低価格の部類になるだろうが、ガストハンバーグには負けるね。しかし、ガストにはない食堂の味わいがこちらにはあるのだ。ガストでは精神がつかわれることはない、最低の気分のいい環境で、ミンナがうまいという最低のめしを口の中へ処理するだけ。なんの精神のはたらきもなくおわる。都民食堂では、まず入るか入らざるか、ガラス戸にはられた手製メニューをみながら決断しなくてはならない、というわけだ。タメになる。大衆食堂ののれんが下がる。いかがわし度2。

このあたりは、ほかに「清洲家」「仙吉食堂」などの大衆食堂があったし、ファミレスも含め飲食店の多い地域だ。楽じゃなさそう。みな、どうなったか、どうしているか。

その後は行ってないから、いまはどうなっているか、わからない。


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