消滅録9

知らないうちに消えてしまった駅前大衆食堂 まねき屋

(05年2月2日版)

希少な山手線沿線駅前食堂だった。東京都荒川区西日暮里、JR山手線日暮里駅東口を出て、すぐ数秒のところにあった大衆食堂「まねき屋」が、昨年04年、いつのまにかなくなった。

気がついたのは、たしか9月ごろだ。いつなくなったのか、わからない。いま調べたら、03年11月21日に日暮里へ行っている。そのときはあったと記憶している。



上の写真は、今年1月8日の撮影。まねき屋があった位置は、ドカンドカン工事中。囲み塀の奥に、山手線の電車が走っているのが見える。この写真の左すぐが日暮里駅東口。

日暮里駅周辺は、例によって、「再開発」というとバカの一つ覚えのように、コンクリートと鉄をブチこんだ高いビルをつくることしかしない「再開発」中だ。下の写真は、上の写真とホボ同じ位置から撮った。有名な駄菓子屋問屋街も消えてしまった。



昭和を懐かしがるチカラはあっても、こういう再開発を止めるチカラはない。再開発が動き出したら、それぞれの地権者の財産の処分の問題だから、周囲のものがとやく言うことはできない。もちろん再開発はいいのだが、それがナゼすぐコンクリートと鉄をぶちこむビル建設の計画になるのだろうか。そのことは、もう少し考えられてよいのではないかという気がするが、もうそういうことを考えるチカラもないのだろうか。

「懐古趣味」も「昭和礼賛」も「スローライフ」も本や観念のことにすぎない。だから、レプリカ遊びで気分を出す、ということなのかも知れないが、その姿は無思考であり無力であり、いかにも虚しい。こういう開発に、もう慣れきってしまったのだ。

それとは反対に、銀行と不動産屋と土建屋はルンルンである。都心は、もはや銀行と不動産屋と土建屋のものなのだ。と、思うしかない。都心の住民も、それを望んで、このような姿になったのだろう。と、納得するしかない。つぶれかかったゼネコンが息をふきかえしつつあるのも、うなずける。

「文化的」「文学的」価値が認められる「遺産」は「市民」の関心も高く残されることがあっても、街のナマグサイ呼吸だった安っぽいタダの生業飲食店は見向きもされない。隣接した谷根千への関心は高くても、その関心は、なんなのだろうか、ここには及ばない。ま、いいさいいさ。

まねき屋については、写真はたくさんあるのだが、古いものばかりだ。たしか91年ごろに、一度そさくさと時間はずれの昼食をして覚えていたので、95年の拙著『大衆食堂の研究』の発行の前に、存在を確認し写真を撮り、その巻末の大衆食堂リストに載せた。

もう一度行って、めしをくってから当サイトで紹介しようと思いながら、その機会を失ってしまった。愚かなことをした。

こちらに、以前、写真だけのせている。→→→クリック地獄

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