メシゴト名言録

(04年4月26日版)

日々めしくうのは、アタリマエのことである。みんながやっていることだ。その日々の体験のなかから生まれた名言を集めていきたい。

とかく、ちかごろは、なんでも有名人や専門家や文筆家といった連中が考え出した「気のきいたセリフ」に頼りすぎるきらいがある。それらは、とかく、ソノタメに使われる職業的な表現であるがために、観念的であることが少なくない。例の「究極」だの「こだわり」だの「魂」だの「本物」だのという、中身のない意味不明の言葉が典型であるが……。空っぽの言葉を聞いていると、こっちの頭まで空っぽになりそうだ。

日々めしくうのは、誰でもやっていることである。その体験のなかから生まれた感覚や考えを、もっと大事にしたい。誰もが、日々のめしについては、「専門家」なのである。

ってことで、みなさまも、自作の言葉なり、推薦なりあったら、教えてください。


(04年4月26日版)

大衆食堂は現在再評価されていると思います。
若者に人気のチェーン店「大戸屋」などは
大衆食堂の復刻版に他なりません。
ならばそれぞれ個性があった個人商店の方が楽しいでは
ありませんか?

当サイトに掲載のカミさんの言葉である。コチラに載っています
「ならばそれぞれ個性があった個人商店の方が楽しいではありませんか?」ってとこが、まさに、まさに、まさに、で。それは、食事の空間論としても、いえることのなのだなあ。

台所に立つことの動機は、やはり「お腹がすいた」、「おいしいものが食べたい」、それで十分なのだ。

当サイトのリンク先、シャンソン歌手・藤原素子さんの言葉である。コチラ「貧すれど、鈍せず」の最上段にある。
これもまた、まさに、まさに、まさに、である。ここで、藤原さんは「日々の、普通の食卓のレシピ」を綴っている。考え方も、文章も、シンプルで、ようするに真実というものは、簡潔明瞭なのだなあ。

要は次の食事のときに、腹が減るようにエネルギーを使うのがええってこと。腹が減ってりゃ、何でも美味く感じるし、何より、食べ物のありがたみを感じることやろう。食べた分のエネルギーは使い切るように動く。「いただきます」、「ごちそうさまでした」って、食べ物に感謝する気持ちは食べたときだけじゃなくて、そのエネルギーを使うことに対してもありがたみを感じると、ちょっと幸せかも。

当サイトのリンク先、澤田寛さんの言葉。コチラ「たべ〜素人による料理入門」の「雑記」腹減らす、にある。
「腹が減っていれば、なんでもうまい」という類は、よくいわれるが、「食べた分のエネルギーは使い切るように動く」ことまでふれ、さらに、そのことにも「ありがたみを感じると…」と説く例は、おそらくないだろう。荻原魚雷さんの、「最近、仕事しないと、メシはうまくないということがわかった」に共通するものがある。なかなか含蓄のある言葉だし、まさに、まさに、まさに、日々の「食生活」というのは、そういうものなのだなあ。


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