給食の風景

(03年3月30日版)

給食というのは、どうもピンとこない。はっきりいうと、みんなで一緒に揃って同じ時間に同じものを食べるなんて、キモチワルイ。

おれは給食の経験がないにひとしい。小学校1年生のときに数回、例の脱脂粉乳のついた給食を食べたことがあるだけだ。あとは高校卒業するまで給食ナシ。小学校は、昼食時間は「昼あがり」といって、いっとき家にもどって食べた。中学も、ときどき、そうした。ほかは弁当である。ナゼ給食なのかも、わからない。どうもキモチワルイ。たしかに、小学校3年生ぐらいまでは、弁当をもって来れない子が何人かはいたけど、そのために全員が給食というのはヘンだし、ましてや、そういう「食糧難」がなくなってから、給食は本格的に普及したのだから、ナゼなのか?

ちかごろ、チト学校に出入りする機会が続いているもんで、3回ほど給食を食べるチャンスがあった。小学校で1回、中学校で2回。写真は、同じ中学の、上は01年11月某日、下は03年1月某日。たまたまパンと米飯を食べることができた。写真はないが、もう1回の小学校では、パンだった。

小学校のほうは「自校式」、つまり自分の学校で給食をつくっていた。パンまで焼くから、まだあたたいパンが食べられた。中学校は「センター方式」だった。「自校式」だからよくて「センター方式」だからわるい、とは一概にいえないらしい。自校式でも指導の栄養士の先生によって、かなり違いが出るのだそうだ。なにしろ240円だか50円ぐらいで上げなくてはならないのだから。たずさわるヒトによる「学校間格差」がかなりあるようだ。



同じ中学、01年11月某日。ハンバーグとクリームシチュー、たぶんサラダのつもりだと思われるが山菜の塩漬けに、なにか味がついていたがメモしなかったので忘れた、それにヤクルトの製品。



同じ中学、03年1月某日。肉野菜いため、みそ汁はサトイモとダイコンほかにもなにか入っていたがメモしなかったので忘れた、それにミカン、なぜか牛乳がつくのだ。
味は可もなく不可もなく、うまかったよ。でも、この量で中学生が足りるのかと思ったが、カロリー的には足りているのだから、よいのだそうだ。

古本屋でみつけた『なつかしの給食』(97年、アスペクト社編集部・編)、「昭和30・40年代◎人気献立50品完全レシピ付き」。なかなか面白い、資料的にも役に立つ。本文最後が、「みんな、おいしくなくって、ゴメンね」だってさ。そういえば、給食のおかげで嫌いになったものができた、というひともいたな。
学校給食指導研究会編集の『給食指導の新しい展開』、1984(昭和59)年に文部省が「生徒指導の観点を盛り込んだ」『新学校給食の手引』を発刊し、その具体化のための実践事例集だ。このあたりから、給食はだいぶかわったらしい。いまの給食は、「うまい」といわれる。それに教室ではなく食堂でバイキング式で食べたり、いろいろ変わった。ちょうどその時期が「一億総グルメ」のバブルの時代だったからか、すごい「豪華」な食堂がある学校もあれば、バブルは全国民に恩恵をもたらしたわけではないのだから、まだ依然として昔のままの教室で食べている学校もある。

とにかくねえ、そんなに学校まかせでいいのかい、って感じがしなくもないなあ。親はなにをするの? それにさあ、やっぱり給食の風景って、なんだか「全体主義」的でキモチワルイなあ。

それはともかく、ちょっとだけ知り合いの先生がいる小学校が、平成14年度東京都学校給食優良校に選ばれたのです。江戸川区立宇喜田小学校、「給食室便り」のコーナーを見ると、つくってみようかなという気分になるメニューがある。それに近頃の給食風景も写真で見られるよ。それから、おれがたまたま近くを通って見た中で、「すげえなあ」と思ったランチルームは、こちら大田区立大森第一小学校。あなたのころと比べてどうかなあ。

そういえば違う小学校の先生から聞いたことだけど、「子供が今日の給食うまかったというから作り方を教えてくれ」と親からメールがあったりするんだそうだ。よろこぶべきか、かなしむべきか。


大衆食的