埼玉県吉田町上吉田
新井豆腐店の「七平とうふ」


(03年1月23日版)

数年前だが埼玉県と群馬県境の山奥の街道沿いに、ぼけっとバスに乗っていても、いやがおうでも目に入るほどの数の、紺色に白抜き文字の「七平とうふ」の旗がはためいた。過疎の山間僻地になにごとかと思った。

それ以前、そこからさらに奥の小鹿野町藤倉地区の縁のある家で、この豆腐を何度も食べていた。いまでも、そこへ行く楽しみのうちの一つは、この豆腐を食べることである。たしかに、うまい。下の写真でも想像いただけると思うが、スーパーで売っている豆腐の倍の大きさはあるし重さにしたら倍ではすまないだろう、しっかり硬い豆腐である。まさにむかしのワイルドな姿形、食感なのである。

しかし、どう見ても過疎化のすすんでいる地域で、それに地元のひとはクルマを使い町のスーパーなどで買い物をしているから、うまいからといって売れる数は決まっているはずだろう。

だがそのとき、七平とうふに大異変が起きていたのである。その地元を流れる川でダム工事が始まり、工事関係者の宿舎ができたり、人口が一気にふくらんだうえ、あちこちわたり歩いている工事関係者のあいだで、すぐさま七平とうふが高く評価され、かれらは帰郷のとき土産にたくさん買って帰るという事態にまでなったのだ。なるほど、いまや、こういう豆腐はめずらしい。

というわけで、外の人間が評価すると内の人間も「ああそうか」と気づくように、七平とうふは地元でもすっかり株があがった。

ちっとやそっとでは崩れない七平とうふさてそれで、ここからは聞いた話。その有名になった七平とうふ、つまり新井豆腐店のおばさんが、もう「名士」のようなものだから、町のひとに講演というか話をする機会があったそうである。そのとき会場から「原料の大豆は国産か」という質問があった。ありそうな質問である。おばさんは「輸入だ」と答えた、週に一度だけ、たしか日曜日にだったと思うが、国産大豆を使ってつくるといったそうである。正直な態度だと思う。

いまスーパーで「国産大豆使用」「国産大豆100%使用」という製品がたくさん出回っている。しかし、大豆はすでに80%ぐらいは輸入に頼っているはずである。昨日あたりも輸入鶏を国産と偽って売っている有名会社が摘発された。消費者も自分で輸入か国産か判断つかないなら国産にこだわるべきではない。事態がここまできたら、そういう国産にこだわる状況が、嘘表示問題を引き起こしているともいえるぐらいだ。

もう一つ、正直な話がある。コシの硬い豆腐がうまいというのは「食感」の問題である。食感は重要で味覚を左右するが、硬さは大豆のうまさの表現とは関係ない。七平とうふのおばさんは、その点についても、じつに正直に話したようだ。つまり「むかしは、悪い道を担いだり自転車に乗って売って歩いた、そのとき軟らかい豆腐だと崩れやすいから硬くした」と。じつに正直である。

けっして職人芸を誇示するような神秘的な説明はしてない。料理や食べ物に、美辞麗句におおわれた神秘的な話を期待するというのも、最近のグルメ化した消費者の悪癖と思うが、であるから職人たちやグルメライターたちは、そういう消費者をよろこばせようと、神秘的な「秘伝」や「秘技」をつくりたがる。しかし、説明のつかないことは少ないのだから、このおばさんのように正直に話し、またそれが素直に理解される環境がのぞましいのだと思う。「特別のよい話」より「あたりまえの普通の現実」に何かを発見するココロが、もっとあっていいのではないかと思う。

ということで、七平とうふは、ダム工事もおわりもとの静かな過疎地にもどった地域で、息子さんがついでやっています。硬いだけでなく大豆のうまみも表現されています。

ついでに、この七平とうふの近くには和久井酒造という酒蔵があって「慶長」という酒が、マニアのあいだで有名です。七平とうふで慶長を飲む。なかなかよい「地」の味わいです。

ところで、この七平とうふを買う、ま、おれが行く家のような地元の家庭は、かつて自家製の豆腐をつくった経験のあるひとたちが多い。昭和の30年代ぐらいまでは自給自足的であったと。醤油しぼりもやっていたようだ。だから、ほんとうは自分の家でつくった豆腐がうまいという口ぶりもあって、でも、そういう地元消費者がいるから七平とうふの味もまた育ったのであろう。

スローフード信奉者には、この地域への移住をおすすめします。


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