消滅録10


田毎(たごと)食堂

東京都渋谷区東1-28-8

05年4月29日閉店しました。
長いあいだ、ありがとうございました。ご苦労さまでした。








(05年5月23日追記)

すでにブログ版日記4月29日に書いたように、田毎食堂はこの日閉店した。

閉店を知らせてくれたのは仕事場が近くで、田毎食堂をよく利用していたmotakeさんだ。↓下の3月30日版の記事もmotakeさんのメールで知ったものだ。

そのmotakeさんのブログ「もた記」には、閉店直前の店内の写真と別れの言葉がある。どちらもすばらしい。
http://d.hatena.ne.jp/motake/20050428#p2

motakeさんの言葉を記念碑的に転載させていただく。
大好きだった定食屋が閉店した。
ボクが生まれるよりも昔から、
働くお父さん達のごはんを作り続け、
数年前に亡くなったおじちゃん。
その後の店を守り続けてきたおばちゃん。
きっと昔からその佇まいであったであろう、
何十年か続いたその店。
もう、心にしか留めておけない。
時代の止まった空間、
暖かでシンプルな会話、
もう、食べられないあの味。
すごく、すごく、悲しい。
そして、さらに、写真に写っているメニューを書き出しておく。おれは、二度ほどあわただしく昼食をとっただけで気がつかなかったが、下町の象徴ともいうべき焼酎ハイボール「ホイス」があったのだ。

最初に、このページを掲載したときのタイトルは「ここは渋谷の「下町」といえましょう」である↓。

地域的な区分でいえば渋谷は山の手ということになるだろう。しかし、田毎食堂もその周辺も、文化的な意味で「下町」だった。それは東陽片岡さんが漫画で登場人物に語らせている「物価は安いし、ステテコ姿で外を歩けるし、住みやすい町」「気どらず自然体で生活できる」ところである。「ホイス」は、そういう文化の象徴でもあるだろう。

とくにこの一帯は渋谷の端、周辺部にあたり、渋谷川が流れる「谷底」に位置している。ここから田毎食堂の前の坂道をのぼって行くと代官山にいたる。つまり、高台に対しての「下町」でもある。

写真は、たしか、近くに渋谷区のゴミ処理工場が建設中か建設されたあとだと思う。その前は、板や竹を並べ立てかけている材木店があったり、小さな木造の家が密集する、いかにも職人と小商いの商人の町という、まさに下町の景色だった。

1980年ごろだと思うが、このあたりを歩いて代官山へ抜けたときには、代官山の通りは閑散としていて店もポツンポツンとしかなかった。

ともあれ、そういう街の変遷があって、田毎食堂の周辺はステテコで歩けるような「下町」の文化をしだいに失っていったのだが、ここ田毎食堂にはその失われた「気どらず自然体で生活できる」関係が生きつづけていた。そこでの食事は、実務的な食事とは一味ちがうものであった、はずだ。motakeさんの言葉や、一番下の最初の記事にある亡くなったご主人の人気ぶりから、その一端を知ることができる。

それを忘れないようにすることで、おれたちが力強く生きるために必要な、実務的な食事にはない、人間らしい味わいのある食事を、求め続けたい。

目玉焼200、玉子焼250、ハムエッグ400、ハンバーグ250、ウィンナー焼250、肉だんご250、おでん300、煮いか300、いか焼300、にしん焼300、かす焼300、さんま焼300、湯どうふ350、牛なべ400、盛り合せさしみ400、おからうの花220、昆布巻煮220、菜の花おひたし220、切干大根煮220、かぼちゃ煮220、生揚煮220、ひじき煮220、きんぴら220、うずら豆220、みがきにしん煮250、さばみそ煮250、さば焼250、冷トマト250、玉子入納豆220、月見とろろ220、冷やっこ220、白すおろし220、いか汐から150、キムチ朝鮮づけ150、おしんこ200、おしたし200、ポテトサラダ220、マカロニサラダ220、おしんこ200、大盛御飯350、御飯250、中御飯200、半食120、みそ汁50

ふぐひれ酒400、清酒小倉山350、アサヒスーパードライ(大)550、キリンビール(大)550、キリンビール(中)450、キリンビール(小)350、焼酎ハイボールホイス300、ウィスキー350、ハイサワー400、ウーロンハイ400


キリンビール中心の揃いが、いかにも「昔の男の食堂」ではないか。ま、「男は黙ってサッポロビール」という言葉もあったが。「日本酒」ではなく「清酒」と「焼酎」というあたりも、なかなか。


(05年3月30日版)

今日、このページをごらんになった方から、下記のようなメールをいただいて、人気者だったご主人が亡くなられていたのを知った。

オヤジさんの話がありましたが、数年前に亡くなったそうです。
ボクはここ 2 年くらいの客なので、オヤジさんの事を存じ上げていないのですが、店内に飾ってある写真や、たまに懐かしそうに話すおばちゃんから、オヤジさんの人柄を垣間見るくらいでした。


遅くなりましたが、ご冥福をお祈り申し上げます。最近は、この地域へ行くこともなく、ご無沙汰したままだった。

なお、食堂は、おばさんが続けておられるようですから、みなさん、ぜひご利用ください。たしか、サバ味噌煮もありました。

とり急ぎ報告まで。
なお、下記の記事、掲載日がないのだが、たぶん2002年7月ごろのものだ。田毎食堂へ最後に入ったのは、それより前、いつだったか覚えていない。オヤジさんは元気だった。



ここは渋谷の「下町」と言えましょう

渋谷駅を出た東急東横線が大きくカーブしながら代官山へ向かう、その渋谷の境界領域ともいうべきところに、田毎食堂はある。つい最近までは、まさに渋谷のはずれであり、下町のようなたたずまいがあったのだが、近頃は様子が変わった。

渋谷の中心部の実務的に洗練されたオシャレがのしてきて古くからの住人の田毎食堂は肩身がせまそうになった。にもかかわらず、すぐ近くには境界領域らしい、渋谷区のゴミ処理施設ができているのだ。

以前は、この写真の暖簾の右側二台分ぐらいの自動販売機はなくて、たばこの対面販売の窓口があった。ところがいまや、ごらんのありさま。世間の嫌煙風潮に反逆しているようで、なかなか頼もしい。おれはたばこ吸わないけど。

ここのオヤジは、ある大会社の渋谷支店のOLが、その社内の全社員が見る印刷物に「不倫するなら田毎食堂のオヤジ」というようなことを堂々と書くほど人気者だったらしい。信じられん。その印刷物を見て、初めてここに入った。それでも、信じられん。夜に入ってみないと、わからんのかも。


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