ナカ☆満寿夫さんのスペシャルレポート

久留米市・松尾食堂


松尾食堂渋いねえ〜

チトまえのことになるが、『週刊朝日』が2000年の冒頭に3号続けて、「21世紀に残したいB級グルメ」という特集をくんだ。最初がラーメン編、2回目がカレー編、3回目がどんぶり編というぐあいである。編集部が任意に選んだひとたちが推薦する仕掛けで、おれにもお声がかかったので参加した。

そのとき、どんぶり編のグラビア紙面の、おれが推薦した千駄ヶ谷増田屋の「たぬき丼」のとなりに、松尾食堂の肉丼があった。そのどんぶりも気になったが、推薦者のスーパーマーケット・タイホー社長・鶴田雄彦氏のコメントが気になった。
「ごはんは、ちゃんと薪と釜で炊いている。長年営業してきたため、必然的にレトロになった。そのたたずまいにも思わず涙」とあるからだ。

これは、どう考えても、昔ながらの大衆食堂である。もっと詳しく知りたい、しかし場所が久留米市だ、貧乏なおれは簡単には行けない。会いたい見たいの思いは募り、九州へ出張に行く人たちや、九州のだが久留米からはだいぶ遠い知り合いに「ついでのときに寄ってみて」と頼んだりした。しかし、月日はすぎてゆく。おれはトシとる。

しかし、しかし、ああ、しかし、日頃は天も神もあるものかだが、こういうときは天のめぐり合わせ神のたすけと思ってしまう。長崎県佐世保市在住のナカ☆満寿夫さんと出会い、彼がすぐさま松尾食堂を取材してくれたのだ。

前置きは、もういい。以下は、ナカ☆さんのレポートである。

それでは、はじまり、はじまり。

(2001年12月2日記)

ナカ☆満寿夫さんの松尾食堂ルポ

松尾食堂
福岡県久留米市日吉町


福岡県久留米市は佐賀県鳥栖市を挟んで県の南部にある。九州一の大河、筑後川に向い、耳納連山を控えた23万人前後が住む街だ。有馬藩の城下町だったが活発な商人の町の歴史もあり、格式ある伝統としたたかな商人気質が、この町にはないまぜになって存在する。

坂本繁二郎、青木繁、古賀春江などの画家の出身地であり、松田聖子、石橋凌、チェッカーズなどの芸能人、中野浩一、坂口征二などのスポーツ選手も出ている。かつて「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重をご存知だろうか。彼が上京して興した田中製造所が後に東芝になる。

現在の久留米市の大きな産業といえば、ブリジストン、アサヒコポレーション、月星化成のゴム製造工場などがあげられる。

松尾食堂は、市を東西に走る通称明治通りと通町の通りに挟まれた細い一方通行の小路にあり、近くには三本松公園がある。この小路を美食通りと呼んでいるらしいが、旧来からの名称ではなく最近の呼称と思われる。創業は昭和六年、堂々たる大衆食堂だ。

建物は築後50年と言うもので、木造だがしっかりとした造りの二階建て。入り口内側に表から見ると裏になって掛けられた、丸に一の紋の暖簾がある。「営業中」と「準備中」が裏表に書かれた厚めの表札大の板が、入り口左に下がっている。その入り口は透明ガラスが張られた木の引き違い戸で、左右にガラス窓がある。

無粋なアルミサッシなどどこにも使ってない。床はコンクリートの打ちっぱなしで、朝に水を撒いてほうきで掃いている様だ。

メニューは、丼ものばかり。右から読むと、親子丼720円、玉子丼720円、肉丼770円、肉丼(玉子入り)820円、カツ丼820円、吸い物100円、ライス200円、酒350円、ビール500円。吸い物と酒の間にも以前は何かメニューにあったようだが、今は紙を貼って消してある。

牛丼1牛丼2

遠藤氏がくれた週刊誌の紹介記事にある肉丼を注文して、私の作法に則ってトイレに立つ。トイレは配膳カウンター脇の厨房への通路から、靴を脱ぎ50センチ位の高さにある短い廊下に続いてあった。床は杉材で小便器と引き戸のドアの付いた大便器の部屋が並んである。小便器上の小窓は引き違いになっているが、カギが壊れたか大きいドライバーが差込んであった。

席へ戻って、ややあって肉どんが運ばれてきた。小ぶりの唐津焼風の蓋のついたどんぶりで、タクアンの乗った小皿が付いてくる。蓋の台のところには松尾食堂と書いてある。蓋を取ると御飯の上に牛肉のミンチを砂糖と醤油で甘辛く煮たものが乗っている。蒸し寿司とか三色寿司とかに乗っているあれである。味は牛肉のうまみが出て、甘めの味付。見えないが玉葱の味がする。すき焼き丼を牛ミンチで作ったものと言っても良い。今、写真を見ると金糸卵が乗っているようだが記憶にない。旨いが飛びきりと言うほどではない。玉子入りにしなかったが、そのほうが食べ易いだろう。

翌日も時間があったので、昼前に再度訪問した。店の自慢料理はメニューの一番右にあるのが常だから、今度は親子丼と吸い物を注文する。あいにくデジカメの電池が切れたので、写真はとれなかったが、これはなかなか美しい。黄身と白身がほどよく混ざり、とろっと柔らく火が通っている。鶏肉は胸肉だろう。ねぎは万能ネギを4センチくらいに切ったものが入っている。これも甘い。しかし、例えば長崎では料理は甘くするのが一つのサービスなのだ。昔、砂糖が貴重品だった頃、海外交易で比較的砂糖が手に入り易かった長崎では、遠くからの客には甘い料理を出すのが自慢でありもてなしでもあった。久留米も商人の町であり、砂糖も手に入り易く、甘い味付けはもてなしの意味があるのかも知れない。

吸い物は、なかなか良く出来ていた。カツオと昆布のダシに湯葉と巻麩が入り、貝割れダイコンが散らしてある。これが出来るんだから腕はあるんだろう。

店内は、夜は60歳くらいのオバさんが一人いて、ホール係を務める。昼はその娘位の婦人に代り、調理の主人は奥の調理場にいて最後まで顔は見えなかった。12時を過ぎても客で混むほどではないが、まわりの席の会話を聞いていると、よそから来た人を地元の人が案内しているような会話があるので、やはり地元の人にとっても故郷の味であり、思い入れのある店なんであろう。一般の店の値段より高いが、それも含めて卵や牛肉が貴重で、庶民にはあまり口に出来ない高価だった時代のなごりだと思えた。

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