初めて、そして二度目の揚羽屋 ああ、よかったよかった、よかったなあ (2001年2月記、7月改訂。写真は2000年8月) 『大衆食堂の研究』は大衆食堂の系譜を「一膳飯屋」に求めて文献に残る記録をたどった。その184頁では、島崎藤村が明治30年代に信州小諸で過ごしたときの作品『千曲川のスケッチ』の「一ぜんめし」から引用している。 私は外出した序(ついで)に時々立寄って焚火(たきび)にあてて貰(もら)う家がある(略)そこは下層の労働者、馬方、近在の小百姓なぞが、酒を温めて貰うところだ それが<揚羽屋>という一膳飯屋だ。 この店が健在なのだ。教えてくれたのは東京の大衆食の会のK女さんだ。料理も酒もうまいという。すでに彼女は何度か通っては酔っぱらっているとのこと。そこで、おれも行ってみました。去年2000年夏のことだ。 店内には、藤村が大正期にフランス留学から帰って再訪したときの、直筆の看板が飾ってある。その看板から文字を写しとった外の看板も『千曲川のスケッチ』のころのまま「一ぜんめし 御休處 揚羽屋」だ。しかし、それだけなら退屈な観光名所にすぎないだろう。ここは、そんなことはどうでもよいぐらい、かって「成功する料理屋」をめざしたらしい野心が時の流れるままに風化した跡をきざむ古い木造のたたずまいに、昔の一膳飯屋のままのメニューと料理がよいのだ。 いまでは「郷土料理」といわれる昔の小諸地方の料理と地酒が、安い料金で堪能できる。ひょっとすると毎日二日酔いじゃないのかねえとおもわれる、ちょっと憂いのただよう、ちょっとシャイな酒好き田舎おやじ風亭主が素敵だ。彼は、くわえたばこを離さない。そういえば、藤村のころの亭主は、いつも腰にてぬぐいをぶらさげていたらしい。それが、上品な都会人化した藤村には気になったらしい。 現亭主は、くわえたばこでフラフラ近づいてくると「キュウリのにおいのするキュウリがあるけど、くわないけぇ」と遠慮がちにいう。「どうやってくうの?」と聞くと、「モロキュウだい」とニヤリ。いいなあ。 厨房の方は、これは、掃きだめに鶴といったかんじ、茶髪にネールアートの今風の若い、涼しい眼の美女一人。しらあえやおからや揚げ出し豆腐や豆腐でんがくや味層汁や鯉のあらいや鯉のうま煮やあゆの塩焼きやが、つくられる。『千曲川のスケッチ』でもわかるが、揚羽屋の元は豆腐屋だ。いまでも豆腐は自家製。それに、そばやうどんもある。これも『千曲川のスケッチ』でわかるが、藤村のころはもちろん、田舎の庶民の日常はうどん・そばが常食だった。一膳飯屋というが、うどん・そばが必需だったのだ。 郷土料理は、芸術を気どったビジネス志向やハッタリ民芸調板前料理によって多くゆがめられたが、ここは、はっきり、味噌汁ひとつ(ああああ、この味噌汁のうまかったこと!鼻水がタレそうだったぜ)、地場の「田舎料理」のままである。つまり職人的虚構や文化人的無知やA級B級グルメ・ライターのタワゴトに侵略されてない、ただゆうゆうと風土とともにある日本料理がある。 まったく、都会的に上品に洗練された味がいい味うまい味だなんていうデッチアゲをしたのは誰だ、といいたくなる。揚羽屋では、店のたたずまいもひとも料理も、なにもかも自然体だ。一ぜんめし定食1300円は品数豊富、ほかの単品がたべられなくなる。どの一品も、酒がどんどんすすむ。たしかに、K女さんのように帰りは酔っ払いだった。ああ、また行きてぇ。 2回目(2002年6月30日記) 書きわすれたが、前回は一日に2回、揚羽屋に寄ったのだった。開店早々の11時ごろ昼飯を食べ、12時半ごろのバスに乗って高峰温泉へ行き、散策と温泉を楽しみ、そして帰りにまた寄ってシッカリ飲んだのである。 そして、2002年。 去る6月26日の昼時、再び揚羽屋を訪れた。前夜、高峰温泉に泊まった帰りである。揚羽屋は健在であり、健在どころか、外の様子はまったく変わらなかったが、なかに入ったら、以前より片付けられ掃除され「掃きだめ」という感じはなくなっていた。 それに亭主は、なんと、田舎のプレイボーイオジサンといった赤シャツ姿で、長めの髪の毛をオールバック風にポマードでキチッとして、ダンスのステップをふむように、背筋をのばしリズミカルに動くのである。 それに、くわえたばこじゃないのである。ちょうど昼時で、くわえたばこもやっていられないほど忙しかったのかも知れない。とにかく、あいかわらずのマーイペースの酒好き田舎おやじ風亭主の雰囲気で、まったく気取がないところは、同じだった。 酒を注文するときに以前、亀の海がうまかったのでそれを頼もうとすると、当然うちは亀の海だといった口ぶりで、「うちは地酒しかないよ」と言った。おれが、「でも、亀の海は小諸ではなくて佐久の酒でしょ」と言うと、そんなことはどうでもいいという調子で「あそこは、このへんでも水が一番よくて、うまい酒ができるのだ、やっぱり水だね」と自らうなずいた。 いかにも酒好きそうな赤ら顔の亭主、それにここはもとから水にうるさい豆腐屋なのだから説得力があるが、たしかに亀の海はうまいのである。土産にも買ってきて、こちらでも飲んでみたが、うまい。 料理は、あいかわらず、あの茶髪に涼しい眼の気になる美女がつくっており、この料理がまた、あつらえたように亀の海と合うのだ。 店内には有名人の色紙がたくさん貼ってあるのだが、そんなこと関係ないという感じの亭主に涼しい眼の美女は、いつも自然体で、気持がいい。 昔から自慢の豆腐料理に鯉の洗いがついた一ぜんめし定食、それに今回は初めてそばを食べたが、これは、よく秩父の奥で食べる地元の家の手打ちのような蕎麦の素朴な味わいがあって、たいへんよかった。 ほかにも、有名人の色紙には「ソースカツ丼がうまい」とあるし、地元の人たちがよく天丼を食べているとこを見るから天丼もうまそうだ。あれこれ、もっと食べてみたい。ああ、また行きてぇ。行くぜ。 |