ねこまんまスペシャルリンク 文化人類学的ネコまんま研究室 「ああ情熱のねこまんま!!」ということで、偉大なる研究室長めりいさんのもとで、大勢さんが参加し、学術的多角的驚異的波乱的研究に邁進している。ぜひごらん頂きたい。人類最強のネコまんま研究機関である。もちろん私も発言している。めりいさんと私は、味噌汁とめしの関係である、といってもわからんか、おれにもわからん。 ねこまんま参考リンク 日本の標準 第94回 ねこまんまのレシピ |
「ネコまんま」の不思議と興奮―ネコまんま論争考1 質問編 |
去る2月6日、おれはフト思い立って、おれが参加する会のメーリングリストに下記のような文章をのせた。すると、すぐさま、すごいすばやい反応があって、続々と興味津々の回答がよせられた。その報告を、ここにしたい。なお文章は一部直している。まず第一回目は、おれの発した質問である。 みなさまここのところ、まったく結論の見えない話題が、一つあります。 それは「ネコまんま」とは、何か? なのです。 これは汁かけめしの一つでして、わたしはわたしの本の『ぶっかけめしの悦楽』で、めしに鰹節と醤油をかけて食べるもの、としました。 それは、わたしの育った家庭で、そう呼んでいたからです。 ちなみに、味噌汁ぶっかけめしは「犬めし」と呼んでいました。 ところが、その本が出たあと『散歩の達人』という雑誌で味噌と味噌汁の特集があって、そこでは味噌汁ぶっかけめしが「ねこまんま」なのです。 それですぐ、これを書いたライターに会って聞いたところ、彼は都内鶯谷周辺の育ちなのですが、彼の家族も近所も「ねこまんま」といえば、めしに味噌汁をかけたもの、ということだったのです。 そして、彼の記事がきっかけで、いくつかのサイトでこれが議論になり、全国的大アンケートもあり、いまでも議論をしているサイトがあるのです。 で、わたしもことあるごとに、生れと育ったところを訊ねて、「ねこまんま」はどういうものだったかを、聞き出すようにしているのです。 回答はほぼ、めしに味噌汁をかけるものか、めしに鰹節と醤油をかけるものか、そのどちらかです。がしかし、それが、なぜそのように別れてしまったのか、地域的にもバラツキがあって、なかなか傾向が見えないのです。 東京について言えば、どうも下町育ちに、<味噌汁ぶっかけめし派>が多いという傾向は見られるのですが。夫婦でも、ちがいがあって、面白いのです。 さて、みなさまの場合は、いかがでしょうか。 ついでに、めしに汁をかけて食べるのは、近代になってとくに「行儀が悪い」とされていますが、室町期には、武家の正式の作法でありました。 では、お忙しいところ、お邪魔しました。 ご都合のよろしいときに、わたしのメールにでも、ご回答いただけると、うれしいです。 さて、このあとの展開は。 まだ、回答が寄せられているのです。その集計結果やコメントなどを、順次紹介します。 (2002年2月8日) |
「ネコまんま」の不思議と興奮―ネコまんま論争考2 |
回答が深夜まで、そして中間報告編 質問のメールは2月6日 18:35に送信した。回答者は、すべて東京および東京近郊に在住。 19:03 1人目の回答 「私はいまでこそ神奈川県に住んでいますが、生まれも育ちも埼玉県深谷市です。 一般にそうかどうかは分かりませんが、少なくとも私の認識では、ねこまんまとは、みそ汁ぶっかけ飯のことです」 味噌汁派、1名 >鰹節醤油派、おれ 21:29 2人目の回答 東京練馬区生まれ埼玉県所沢育ち。 「私にとってねこまんま=鰹節&醤油かけ、隣に座っている同僚(川崎生まれ川崎育ち)は、みそ汁ぶっかけ、だそうです」 味噌汁派、2名 鰹節醤油派、1名+おれ 21:52 3人目の回答 「2週間ほど前に、会社の若い人と3人で雑談をしていたら、何故か『ねこまんま』の話になりました。その時は、私だけが『鰹節と醤油』派で、若い人は、二人とも『味噌汁ぶっかけ』派でした。 その時は、多勢に無勢で押し切られてしまい、一人疎外感を味わっておりました。 ちなみに私は、小学校入学まで愛知県で育ちました。 また若い二人は、湘南育ちと中野区育ちです」 ふーむ、ネコまんまが職場で話題になっているんだ。 味噌汁派、4名 鰹節醤油派、2名+おれ 22:02 4人目の回答 「ねこまんまは、味噌汁をごはんにぶっかけたものと思ってましたよ。 私は福岡で生まれ、大分県大分市で育ちましたが」 そりゃいいが、みんな職場で仕事中らしい。 味噌汁派、5名 鰹節醤油派、2名+おれ ここで日付が変る。2月7日だ。 すでに深夜だし、 反応が早く多いので、 ここでおれは中間報告をしておくことにした。 0:52 以下の中間報告を送信。 ここに紹介するのはMLから一部変更、 集計結果は計算がかなり間違っているが、そのままにしておく。 みなさま 遠藤哲夫@大衆食です このMLは、なんと驚くべき、アソビニンがいることか。 愉しいです。 意外の反応の早さに、のんきに気分転換に書いたつもりの私ですが、対応にアタフタ面白がっています。 せっかくですから中間報告といきましょう。 いまのところ、ネコまんまは、 味噌汁ぶっかけめしとする派閥は、3名。 鰹節と醤油かけめしとする派閥は、1名+私。 という状況であります。 ついでに、さきほどのメールでは不正確でしたので、 調べ直しました「ネコまんま」のページを、ここに紹介します。 このほかにもいくつかありますが、 代表的かつ参考になると思われるものです。 興味がおありでしたら、ごらんください。 一つは、「文化人類学的ネコまんま研究室」 私のサイトと相互リンクの関係にあります。 投稿やアンケートと、それをまとめる議論があって、ふざけているようで真面目で、真面目のようで、どこまで本当かわからない。 ここは、「味噌汁かけ」か「鰹節醤油かけ」かを中心に、はてしなく拡散的に議論が展開し、なんだか展開しきったかという気配でもありますが、また最近、管理人が張り切りだしたようです。 もう一つは「日本の標準 第94回 ねこまんまのレシピ」で、これはアンケートです。 この面白い点は、味噌汁かけか鰹節醤油かけか、というより、「めしに味噌汁をかける」か「味噌汁にめしを入れる」かでアンケートしていることです。 これは、ご本人たちは意識していないようですが、民俗学的には、面白い議論なのです。 手短に説明すると、海岸の漁業の地域では、江戸期からすでに、味噌汁にめしを入れる方法が多いようです。 いまのところわかっている理由は、 一つは、漁師は水をかぶる、ということを忌み嫌い、めしに味噌汁をかけない。 一つは、漁の船の上で味噌汁ぶっかけめしを食べるのに、味噌汁をめしにかけるのは船のゆれでこぼしやすいから。 ということがあるようです。あと最近までトンネル工事の人たちのあいだでも、やはりトンネル内の出水をかぶることを忌み嫌うことから、めしに味噌汁をかけるのではなくて、味噌汁にめしを入れてました。 ということで。お騒がせしました。 と発信した。 が、しかし、そのとき、ぎゃああああ、この夜中に職場で仕事しているのか、 また回答があった。 1:10 5人目の回答 「私のところは『鰹節と醤油』でした。 ちなみに愛知県(尾張地方)の郡部出身で、30代前半です。 『みそ汁ぶっかけ』ご飯は普通に『みそ汁かけご飯』と呼んでいました」 味噌汁派、5名 鰹節醤油派、3名+おれ しかし、人びとは、なぜかくも「ネコまんま」に燃えるのか、 あらためて、その根の深さを想像してみたものである。 このMLは、知的な職業の人たちばかりで、今年の新年会で席が隣り合った一人は、ゲームクリエイターで、ネコまんまは味噌汁かけ派なのだが、彼は、なぜひとはゲームに興じるのかを、酒のツマミに話してくれた。 ま、つまりは、簡単にいえば、ホイジンガのホモルーデンス論ということになるのだろうか、人間は遠い昔の狩猟生活のなかで、獲物を追いかける「遊ぶ」DNAを身体のなかに宿してしまった。 ということなのだ。 であるならば、人びとが、このようにネコまんま議論に燃える、また近代は、ネコまんまはイケナイと教えられた時代にもかかわらず、ネコまんまを食べ続け楽しむ、これは、遠い昔のDNAと関係ありはしないか。 そこで思い至るのが、人間が料理というものを得て美味を追求する、その最初の時代、つまり火と火で煮ることができる容器を得たときから、なんでも一緒に煮る、そこではネコまんまの原初的味覚、穀類のデンプンや何かのタンパク質からのアミノ酸そして脂質などが、複雑に融合した美味、その味に歓喜したときの、その「ネコまんま」DNAが身体のなかに宿っている。 ということになりはしないか。 でなければ、懐石料理の大家をして味噌汁ぶっかけめしは「痛快味」であるといわしめ、人びとがネコまんまに高揚する理由をみつけだすのは困難なのである。 うにゃむにゃ。 そして回答は、まだまだ続いたのである。
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「ネコまんま」の不思議と興奮―ネコまんま論争考3 |
続々と回答が、そして結果報告編 2002年2月7日10:48 6人目の回答者 「私は生まれてから35年、大阪に住んでいましたが、『ねこまんま』は鰹節+しょうゆかけごはんのことだと思いこんでいました。 ただ、うちの家では、はっきりした呼び名はなかったように記憶しています。 小学校に上がってから、何となく世間ではそういう呼び方をするものだと認識しなおしたような次第です」 この方は、こうも書いている。 「昭和9年大阪生まれ大阪土着民の私の母は、味噌汁かけごはんが好きで、特に大根の味噌汁のときはよくやっていました。味噌汁にめしを入れていたので、なぜかと聞くとごはん茶碗が汚れるのがいやだとかいう理由でした」 うーむ、なかなか立派な母上である。このようにぶっかけめしを好むひとこそ日本の母の鏡といえましょう。 味噌汁派、5名 鰹節醤油派、4名+おれ 11:08 7人目の回答者 「我が家では、『ねこまんま』と言えば、ごはんにお味噌汁をかけたものを呼んでおりました。 子ども心に、好きだから食べたいのだけれど怒られるし・・・と言う葛藤が」 味噌汁派、6名 鰹節醤油派、4名+おれ 11:27 8人目の回答者 「『ねこまんま』と聞くと、イメージとしては遠藤さんの言われる『鰹節と醤油がけ』がまず浮かびます。 が、実際に食べたことはないです。 みそ汁がけは一人暮らしの時にしょっちゅうやってましたが、それを『ねこまんま』と称したことも無かったような。 かといって「犬めし」と呼んだこともなく、そのまま『みそ汁がけ』と言ってました。 こういう場合どっちに属するんでしょうか?」 ま、この場合は、どちらにも属さないですね。 11:30 9人目の回答者 「私も味噌汁ぶっかけめし派です。 山梨県もということでしょうか? 父親から見よう見まねで覚えたことです。 『おじや』と言っていました。 父は東京生まれ、東京育ち、18で姫路、20で新潟、21で山梨と転居しています。 祖父母は山梨出身です。山梨の文化なのか東京の文化なのか分かりません・・・。」 味噌汁派、7名 鰹節醤油派、4名+おれ 12:21 10人目の回答者 「でも、恐らく『ねこまんま』でした。味噌汁にご飯を入れてた。 ねこまんまの食べ方は子供が好みましたが、犬食いで『行儀悪い』と怒らるので、私は味噌汁にそっと残りご飯を入れて食べてましたこれだと味噌汁を飲んでるみたいで、目立たないから。(恐らく、鹿児島もご飯に味噌汁をかけるのが一般的でした)」 味噌汁派、8名 鰹節醤油派、4名+おれ 20:43 11人目の回答者 「しかし、味噌汁はオフィシャルな夕食の場でしか出ませんでしたので、そこでの試行に対しては、つよい非難が待ち受けていました。 そのとき、『ねこまんま』という言葉を初めて耳にしました。 父は東京、母は横浜の出身です。 両親ともに『ねこまんま』という呼称を使っていたことを覚えています。 そんな経緯もあり、大学で一人暮らしを始めるまで、長い間、ねこまんまは夢の料理でした。 というわけで、ねこまんま=味噌汁・オン・ザ・ごはんに一票、です。」 味噌汁派、9名 鰹節醤油派、4名+おれ 21:56 ネコまんま騒動結果報告を発信 みなさま 遠藤哲夫@大衆食です 昨日のいまごろでしょうか、思いつきで書いたネコまんまのことですが、短時間のうちに思わぬ展開となり、とまどいながらも、うれしいやら愉しいやら。 さて、それでは、24時間以上経過し回答も途絶えたようですので、結果発表といきましょう。 味噌汁かけ派、6名 鰹節醤油かけ派、4名+私 どちらにもならない、1名 これって、不思議ですねえ。 だいたい、このように決定的な差がない近値だが、味噌汁派がやや多いという結果になるのです。 不思議だなあ。 神奈川県―味噌汁派 福岡生まれ大分育ち―味噌汁派 東京都東部―味噌汁派 埼玉―味噌汁派 山梨―味噌汁派 鹿児島―味噌汁派 東京都保谷市生まれ埼玉県所沢育ち―鰹節派 愛知県尾張地方―鰹節派 大阪―鰹節派 愛知県―鰹節派 新潟県―鰹節派(私) って、ことですが、なんにもわかりませんね。 ま、だから議論になるのですが。 どういう議論があるかは、書くの大変です、読むのも大変です、割愛させてください。 近々、私のサイトで探求しましょう。 そのときは、このアンケート結果を、もちろんお名前は出しませんので、使わせてください。 Sさん >ねこまんまの食べ方は子供が好みましたが、犬食いで「行儀悪い」と怒らるので、 これは、ぶっかけめしイケマセン派の主な主張ですね。 しかし、うまいものならば、姿勢を正して食べればいいだけのはずです。 それが、なぜイケナイと片づけられるようになったか、明治期以後なのですが、まだまだナゾがあります。 いわゆる「高級な日本料理」の系統でも、懐石料理系つまり茶の流派によっては、あれほど行儀作法にうるさいのに、汁かけめしはOKよ、という伝統があるのですから、このイケナイという根拠はどうして広がったのか、近代の日本文化を考える上でも面白いのであります。 >かつお節、これは鹿児島枕崎の名産ですが、これに醤油を入れたものを具にした、 >「おかかおにぎり」は鹿児島では昔から食べてましたが、丼ご飯の形ではなかった。 今回の回答にはありませんでしたが、ネコまんまは鰹節をかけただけのもの、というひともいます。 これは歴史的に、汁かけめしとふりかけの接点に位置するようです。 鰹節の普及と関係あるということでしょうか。 Mさん >深川丼もぶっかけめしの一種でしょうか? これは、もう伝統的な、ぶっかけめしです。 深川丼は、アサリの味噌汁ぶっかけめしで、深川飯は、アサリの炊き込みご飯、 と主張するひともいますが、それは近年そう呼ぶようにしたひとがいるだけ。 歴史的には、「丼」という器が普及して深川丼になった。 うな丼もそうですが、丼の普及以前は、みんなナントカ飯だったのです。 ただ、ナントカ飯には、炊き込みご飯に汁をかけるものが少なからずあった。 それは、日本にかぎらないのですが、古い時代には、「汁」とか「スープ」は調味料と未分化で、したがって「食べ物」より「調味料」として使っていた時代が長い。 醤油が普及するまで普及してからも、味噌を湯にといたものを、何にでもかけるように使用していた時代が、けっこうあったはずなのです。 もとはといえば、深川の下層の庶民が(といっても、あのへんのひとは下層の庶民と呼ばれていたようですが)、採れても売り物にならない貝を汁の具にして、それをめしにかけた。 バカガイと呼ぶ青柳あたりを、そうしていたとも伝えられています。 厳密に言うと、古くは、味噌汁ではなく、海の塩気をそのまま利用していた可能性もあります。 いまでは、NHKの「男の食彩」あたりで有名になった、「深川宿」の深川丼は、高いアサリを使い一人前1800円も取って、「江戸前」の味です。 「車夫馬丁」の食べ物と軽蔑されていたのですが。 Yさん >みそ汁がけは一人暮らしの時にしょっちゅうやってましたが,それを >「ねこまんま」と称したことも無かったような。かといって「犬めし」 >と呼んだこともなく,そのまま「みそ汁がけ」と言ってました。こうい >う場合どっちに属するんでしょうか こういう方は、ときどきいます。ま、今回は、どちらにも入れませんでした。 「みそ汁がけ」のほうがズバリで、後世に災いを残さない、が、このような議論の楽しみも残さないかも。 Kさん >子ども心に、好きだから食べたいのだけれど 怒られるし・・・と言う葛藤が。 >因みに、私は杉並育ちです。 こういう葛藤を経験された方は少なくありません。 基本的にうまいもの、味覚的にも観念的にも「うまし」のものを、ある時期からイケナイものになったのですから。 しかも、このぶっかけめしは、ただうまいのではなく、人間が火と壷や器を得て、水のなかで煮てしまえ!とはじめて、美味に目覚めた、その原初的なところを含んでいる可能性があるからです。 これは、書いてると長くなります。 とにかく穀物でんぷんと脂質とたんぱく質からのアミノ酸の複合融合ですね、ハイブリッドの美味ですね、それこそ原初的美味であると、これは日本にかぎらず、そこから料理は発展したと考えられています。 そういううまいものを、食べるな!ですから、無理があります。 けっこう、かくれてやっている人が多い。この矛盾。 で、こういうことがありました。知人ですが。 お嬢様育ちの女性、親に固く禁止され、食べたことがなく成長し、結婚し子供が生まれ、子供が中学生になったとき、「どうしてネコまんまは、いけないの、こんなにうまいのに」と主張されて、それを説得できない。 たしかに、うまいものなら、禁止するのはおかしいと、初めて彼女は子供と食べたのです、すると、たしかにうまい、コレ食べちゃいけないって、どういうこと? って彼女は、娘と一緒にネコまんま楽しんで、こんなにうまいものを教えた娘に感謝しているそうです。素直な女性ですね。 さーて、長くなりました。読むほうもいやになるでしょう。 とつぜんですが、この辺でやめます。 どうも、このたびは、ありがとうございました。 私は愉しんだし、一緒に愉しんだ方もおられるでしょうが、迷惑に思っている方もまたおられるでしょう。 お騒がせしました。 なお、ご質問のある方は、ご遠慮なく、私のメールまでお願いいたします。 では、また。 |
こうして、ねこまんま騒動は、とりあえず終ったが、人びとはその興奮をいつまでも語りつぐのであった……それにしても、人びとはなぜ、かくもねこまんまに興奮するのだろうか、これはカレーライスの興奮と同根なのではあるまいか…… |