ナカ☆満寿夫さんのスペシャルレポート

九州博多・牧のうどん


(2001年12月2日版、2002年5月5日改訂復活)

九州は福岡、佐賀、長崎地方あたりでは<牧のうどん>は有名らしい。このレポートで佐世保のナカ☆さんが言わんとするところの一つは、麺はシコシコ腰があればいいというものではない。そういう杓子定規はいけない。ということだ。<牧のうどん>には、ちゃんと柔麺がある。ま、お読みください。


(写真注=左の茶碗は、かやく飯、まぜ飯のたぐいらしい。
上の容器はきざみネギが入っている。
うどんのトッピングは、牛蒡天と、丸天とよぶ関東ではサツマアゲ)


 福岡行きは、中州の行き付けの店でしばらく管を巻いて、餃子屋でまた一杯、知り合いの娘が移った店で又飲んで、カラオケは洋楽ばかりで嫌われて、醤油ラーメンでアルコールの刺激を抑え、最後は最初の店に戻り、サウナに泊まって来ました。

 もちろん帰りの道中ではあの「腰無しうどん」で有名な「牧のうどん」に寄り、牛蒡天と丸天をトッピングしてもらい、刻みネギと唐辛子を山盛りにして食しました。ゆでかげんは勿論「柔麺」です。

 柔麺は、汁を吸って増殖しますので、やかんに入れてくれる汁を足しながら食します。(遠藤注=下の写真に「スープ」と書いたヤカンがある)。これをズルズル啜る様に食しながら思ったのがエンテツさんの事です。ポッツ!…と照れてる場合じゃない、私はホモじゃなかった。私が思ったのは「これがエンテツさんの目指すぶっかけ飯文化なんだ」と言うことです。



 山本益博氏の功罪の功は色々有るとして、罪は大衆食までも高級料亭を計る眼で見ていることではないでしょうか?それに踊らされて料理人は”こだわり”を押し付け、客を怒鳴りつける様になり、客は自虐的にこれを受け入れるに成り下がってしまったと思います。

 例えれば、大衆音楽をクラシックの基準で評する愚と言えませんか?やはり大衆食の醍醐味は野太いパワーがないとこれであるとは言えない。それと経済性も大事で、安さもまた大衆食の味と思います。またいわゆる「こだわり」なんてものは、声高に言うものではなく、昔の料理人なら当然の事として黙々とやっていた様なものばかりです。

 なんて事を思い浮かべてました。

ヨッ大衆食堂