大衆食の会に参加の、数年前に大学院生をやっていたひとがいる。在学中に、産業社会学的にだったと思うが、大衆食堂も研究の対象にした論文を書いた。そこに当然「大衆食堂」という言葉をつかった。すると指導の教員が、「大衆」という言葉を正しくつかうために近代100年の歴史を勉強するようにとか、言ったそうである。
学術業界というのは大変なところだなぁと笑ったが、「大衆」なる言葉がつくだけで、「貧乏種」「愚民種」にみられ嫌われたりすることもある。しかし、大衆食堂でめしくう人たちは「おれたち大衆だよ、文句あるか」ってなものだ。そして、「大衆食堂ってのはね、普通にうまければいいのだよ、特別にうまい必要はないのさ」と言ったりしている。
私は、「普通にうまい」と「特別にうまい」を分けるセンスに「なるほど」と感心したのだが、ある大衆食堂のオヤジも、同じようなことを言った。「うちにはうまいものなんかないよ、うちの家族が食べているのとおなじ普通のものを出しているだけだよ、うまいものが食べたければよそへ行ってよ」などと。取材を申し込むと、「いやあ、うちは普通のものしか作ってないからねえ」という答えが返る例は少なからずある。
この「普通」って言葉は、「スタンダード」とも置き換えられそうだし、大衆食堂や大衆食を語るとき、とても便利のように思う。
そもそも私が大衆食堂に、めしをくう以上の関心を持ったのは、その普通の料理、普通のメニューである。
1980年代後半だった。私はバブルな飲食店でカッコウつけながら、それまでの習性で、古い木造のボロなたたずまいの大衆食堂も利用していた。一方は激しい勢いでイケイケの派手な変化。当時の気どったレストランのメニューといったら、「アルプスの少女ハイジ」なんていう名前の料理が、ただのチーズと育ちの悪い芝草のようなものが混ざったサラダだったりなどと、スゴイお笑いをマジにやっていた。
しかし一方、大衆食堂はというと、バブルなどよその国の話みたいと、私が上京した1960年代と、ほとんど変わらない地味な有様。そこで、サバ味噌煮などを突っつきながら頭の片隅で、大衆食堂のメニューを集めると、もしかすると近代日本食のスタンダード、つまり近代日本食の普通がわかるかも知れないなあ、と思ったことがあった。
それから数年たって、ひょんなことから大衆食堂の本を書くことになった。
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壮観ともいえる大衆食堂のメニュー書きには、近代日本食の歴史がつまっている。普通のうまさで賑わっている川崎市中原区新丸子の「さんちゃん食堂」
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