京都で〜
想像を絶するガツンガツンガツン

(03年1月12日記)

カオロウカンと読みます去年暮12月27日、京都へ着いたその夜、思わぬ展開がまっていた。ふつう旅行者などは行かないだろう、阪急桂駅そばの焼き鳥屋台を大きくしたぐらいの店、立派とはいえない建物で、もちろんおれのジャンク好みにはピッタリの、串カツ飲み屋[だるま]に入った。そこからだった。いやあ、いまどき、しかも余所者におたかくとまり馴染もうとしない、旅行客を見れば値踏みをしてふんだくることしか考えていないようにみえる田舎者なケチな京都で、こんなことがあるのだああああああ、の、貴重ないい旅をしました。

想像絶するガツンの[だるま]

んで、その[だるま]は、やよい食堂と同じように「とうちゃん」のサイトで見つけたのだ。なにやらイカガワシげでよいなあと思ったものだから、それにとうちゃんに会ったら親戚だというので、チト京都の街の西のはずれだが、狭い京都のことで中心から阪急電車で20分ぐらいだから、フラリ行ってみた。だるまは桂駅のそば、駅前広場の奥の薄暗い路地に丸い赤ちょうちんがプラプラプラと下がっていた。

なかは10人ぐらいのカウンター席、個室がひとつ。ま、どこへ行ってもある大衆的な飲み屋のつくり。カウンターにすわって、ヒゲのマスターとあれこれしゃべりながら、めずらしこだわりのサッポロラガーに、とりあえずのつもりで串カツのお好み5本セットをたのんだ。と、すぐに、想像を絶する展開になったのだ。

つまり、隣にすわって飲んでいた、あとでわかったことだがヒゲのマスターと同級生というKさんと、2、3言葉をかわすことになって、で、とにかく最初のとりあえずのつもりの串カツ5本が出たときには、もうなんだかKさんと調子よく盛り上がってしまっていた。なんだなんだなんだ、Kさんはビールを1本に、うまくてオススメという東京でいえばモツ煮込みを「300円で、こんなもん安いんだから、ごちそうさせて」などと矢つぎばやに攻めてくる。初対面だよ名前も知らんのだよ。

マスターもビールをサービスしてくれたと思うし、もううれしいねで、シカとは覚えてないが、ワオワオギャオギャオ、関西の文化を知るには大阪の花月で吉本を見るのがいい、なるほどそうでしょうねギャオギャオ、しかし大阪嫌いの京都人がそんなこというなんて初めてだぜと内心おもいながら、ただただワオワオギャギャの酔っ払い。たしかにモツ煮込みはうまいし、串カツはうまいし、ヒゲのマスターはいいし、もっといろいろたのもうかと思っているうちに、Kさんとの対応に口が忙しく、あれよあれよという間に翌日はKさんオススメの木屋町の[黒川]で6時に待ち合わせることになったのだった。ビデオとデジカメを装備して行ったのだが、ついに使うことも忘れる有様で、大変気持よくすごしたのだった。だから、[だるま]の写真はない。こちらを見て、ぜひ行っておくれ。いいことがあるかも。

像絶するガツンのKさんと[黒川]

とにかくKさんは京都熱愛の京都人で、「大阪人は」と、ここで一呼吸おいて力をこめて「ツバをかけてやりたいぐらいですわ」というほどのひとなのだが、どうもおれがいままで知っている京都人とちがうのである。おれは1960年代中ごろの一年間、大阪に長期出張で、大阪、奈良、京都、神戸あたりで仕事をしていたし、同僚にも京都人がいてかれの家に泊まったりで、京都人とは少なからぬ付き合いがあったのだが、こういうKさんのような気さくというかなんというか、フツウのひとは初めてなのだ。

それはともかく、翌日28日は木屋町の[黒川]でKさんと落ち合った。どうもここは有名な店らしいのだが、入口はイカガワシイ古い大衆食堂なみ、なかも猥雑さただようええじゃないかの雰囲気。しかし安心はできないのだった。前夜、Kさんにここをすすめられたときは「なにぶん貧乏人なので」と、旅行者にはツライ京都の高い飲食店を警戒して発したおれの言葉をKさんは、たぶんおれの貧相な風体からウソはないと信じてくださったのだろう、黒川の値段のないメニューを指し示しながら、小声で「こちらのものなら」といってくれた。

それは、いわゆる「おばんざい」なのである。とにかく唯一1000円という値段の表示がある「いろめし」つまりかやくごはんと、いくらだかわからない「菜っ葉煮」だけは必ず、それだけならたいして金はかからないというKさんの話だったが、やはり貧乏を趣味とするおれも見栄というものがあるから、本当はリッチなのよというそぶりで、いくらするかわからない京都名物のいも棒、おから、かす汁で、いくらするかわからないビールを2本飲み、いろめしと菜っ葉煮を食した。Kさんが青年時代からの馴染の店だからうまいに決まっている。「おばんざい」といえばただの「おかず」だが、京都人の京都人による京都人のための洗練ではこうなるぜという、また料理の真髄は煮炊きにあるぜという、見本のような料理だった。

想像絶する恥かきガツン

で、これは笑えた。その菜っ葉煮はおわんに入ったたっぷりの菜のすまし汁という感じだったものだから、ついついその汁まで飲んだ。なにしろうまいのだから。そして次の店にいって、さらに酒が入ってから、Kさんは「あれは菜っ葉煮だからふつうは菜だけを食べて汁は飲まないのです」というのだった。がははははは、そりゃ愉快、そうかそうか、どうりでチトしょっぱいと思った。でもうまかった。汁まできれいに飲む様子に、さぞかし驚いたであろうし、あるいは黒川のひとは「この田舎者の貧乏人が」と思ったかもしれない。ま、そういう「失敗」は、知らぬ土地や食べ物ではあることだし、それがけっこう旅の楽しい記憶になったりする。あまり考えず気どらずに思いのままやるのがよいだろうと恥をかきまくるおれだった。

らに想像絶するガツンの[カオロウ館]子羊料理

カロウロウ館 子羊料理さて黒川で腹はふくれたのだが、Kさんは次へという。それが子羊(ラム)料理だという。「えーっ、もうもう腹がいっぱいですよ」「いや別のところに入るから」と木屋町通りの[カオロウ館]へ。ここの料理は黒川とは対極にあるといってよい。しかも料理のセンスがよくないと、技術だけではこうはつくれないだろうと思われるもので、敬服に値する。

子羊料理以外のものはない。Kさんのオススメは辛子煮、トマトベースの酢豚のようなといったところか。そしてラムのタタキ。このうまさには、まったく意表をつかれた。写真は、夢中で食べて飲んで楽しいKさんとの話に興じていて、あわてて食べかけを撮った。上がたたきで下が辛子煮。さらにカレー味のスープを食し、さらにカレーをみやげにとタッパーに入れて持たせてもらい、新幹線で運んで翌々日帰宅してからめしかけて食べた。

とにかく、ちょっと、こういう料理をつくるひとがいると思うとうれしくなりますですよ。うまいだけでなく、じつに意欲を感じる。その前の中華をやめて子羊料理を始めて2年だそうだけど「なぜ子羊料理を?」ときくと、「こんなに安くてうまい材料を使わないなんてほうはないと思って」と。そこまでは誰でも考えられるのだろうが、実際にこうもうまくつくるのは誰でもできることではない。その数日前に羊料理が日常食のウイグル人と羊料理を食べながら飲んだばかりだったが、やつらにも食べさせてやりたいと思ったのであるよ。いわゆる遊牧民系の羊料理とはまったくちがうオリジナリティ。

ほかにもステーキもためしてみたかったのだが、なにしろ腹一杯のうえに、赤ワインをデカンタでがんがんやって、もうもう大満足のうえに、「この店は、わたしが」というKさんに全部ごちそうになったので、もう最高ガツンガツン。ありがとうKさん、感謝感謝感謝、あなたは間違いなく、よい正しい京都人です。それから[だるま]のヒゲのマスター、あなたも、よい正しい京都人です。京都、ばんざーい。


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