ラーメンライスは大衆の勝手じゃ!

(2001年3月8日記、2002年5月7日改訂)

浜の真砂はつきるとも明石の鯛がなくなろうとも木更津のアサリが中国大連湾生まれになっても、日本にラーメンライスの絶えることはない。いまインターネットをチョイ検索しただけで、500件ぐらいのおしゃべりがみつかる。そのラメシ(ラーメンライスの短縮別称)は関西生まれなのか?

1月21日に掲載になった北海道新聞の書評を書くので読んだのだが(そうでなければ、読まなかっただろうね)、石毛直道さんは『上方食談』(小学館)で、こう書いている。

「わたしが関西でくらしはじめたのは昭和三十年代前半のことである。その頃は、関東と関西の生活慣習の差がきわだっており、関東育ちのわたしは、とまどいを感じた。関西人の食事にカルチャーショックをうけたのが、ラーメン・ライスであった」

「ラーメンをおかずにして、めしを食うことは、関東もんには想像できない事態であった」

「のちにわかったことだが、関西では、うどんとめしを一緒に食べることは、きわめて日常的なことで、それがラーメン・ライスに引き継がれたのである」ウンヌン。

この文脈だとラメシは関西生まれになっちまう。しかし、この学者大先生は、けっこうヨタが多いから(それはそれで楽しめるのだが)、すぐ信用するわけにはいかない。

おれが初めてラメシを食ったのは昭和30年代後半、1962年のことだ。その年の春上京してすぐ、下宿のあった京王線つつじヶ丘駅近くの中華屋で食べた。あれが関西から伝わったのだろうか?

「ラーメンライス」というメニューはなかったが、ほかのひとが「ラーメンとライス」とか「ラーメンとごはん」とやっているので、ナルホド、と思い試してみたのだ。貧乏人には納得の食べ方だった。べつにカルチャーショックはなかったし、カルチャーショックといえば、もっと後になって食った「雑炊うどん」のほうがはるかにショックだった。

ラメシはどこ生まれというより貧乏大衆が勝手に生んだことにしておこう。いまじゃ、ラーメンと高菜ごはんや明太ごはんがセットになったりと、立派に独立したメニュー群となった。

ラメシはラーメンのうまいところでくえばいいんじゃないの、というわけではなさそうだ。そうは単純ではない。ラメシはラメシなのだ。かつて『散歩の達人』で、たしか「ラーメンライスのうまい店」というような記事もあったと思う。ラメシなりの、麺の硬さ、スープのからさが必要のようだ。その食べ方もひとによっていろいろで、まず麺だけを食べてからスープにライスを入れ、キムチをのせたり。

楽しみつきないラーメンライス。大衆食は大衆の勝手じゃ!


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