よい食事

(2002年8月8日記)

よい飲食店での食事のために、業界や店の舞台裏を知ることが必要であるかのごとき状況が生まれたのは、近年の「情報化」時代になってからである。

そこには、メディアやメディアに関わって仕事をする、ま、おれのような糞ライターなどが、ほかのひとが知らない話題になっていない情報を根掘り葉掘りほじくりだして、それを印籠のようにかざし手柄話にしてみせることで、生活を成り立たせようという、姑息な「情報競争」の感覚があることは否定できない。

だが、必要なことは、よい食事のための感覚や文化を、どう育てるかであって、業界通や店舗通になることではない。ま、高級飲食店で食事をするときなどは、その店の歴史や能書なども、値段や鑑賞のうちかもしれないが、大衆食堂の世界で、この店のこういうことを知ってなきゃあ、大衆食堂を知っているとは言えない、なーんてことはないのである。

そういうことではなくて、平凡な大衆食堂であるからこそ、食べる人の感覚や文化しだいであると言える。「業界通」の情報にふりまわされるのではなく、自分の生活の視線や感覚を、大切にしたい。ま、たいがいの大衆食堂の常連というのは、そういうものなのであるよ。


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