上野駅地下食堂街始末

(2002年10月26日記)

今日(10月26日)は、このようなメールを出しまくった。んで、ここをのぞいた方にも読んで欲しいと発作に思ったので、ここに掲載します。


みなさま

「ザ大衆食」ホームページでご縁のあったみなさま
上野地下食堂街の存続についてご理解とご協力をくださったみなさま
大衆食の会のみなさま
友人知人のみなさま

残念なお知らせです。
すでにホームページ「上野地下街を今のまま残そう会」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/nokosoukai.htm
でお知らせしたとおり、地下食堂の立ち退きを裁判で片付けようという「大家」東日本キヨスクに対して、存続の嘆願署名を集めだしたばかりでしたが、当事者のみなさまのもろもろの事情があって、残っていた3軒とも11月いっぱいでの明け渡しが決まりました。

おかめさんと柳家さんは、11月の15日から17日ごろ。
グラミさんは11月27日。
をもって閉店退去となります。

もう多くを語ってもいたしかたないと思いますが、ひとつだけお聞きください。
この食堂街は、わたしにとっても思いで深いところで、よく寄っていた食堂もあったし、おかめはフジテレビの番組制作で大変お世話になりご迷惑もかけた食堂でした。

が、じつは、わたしが、ここが立ち退きの裁判になっていることを知ったのは、ある親しくしているフランス人に聞いてだったのです。そのとき彼はこういう趣旨のことを、わたしに言いました。

「契約など法的な関係はいろいろあったにしても、これは、ここはもう街並みの文化なのだ、それだけで残す理由がある」

わたしは、こういうことを、日本に住んでわずか十年のガイコクジンに言われたというのが、非常に残念でたまりません。

あの通路をどれだけのひとが利用していたかは知りませんが、どれぐらいの方が、あのコキタナイ食堂街を「残さなくてはならない文化」としてみていたのでしょう。また、文化を法律から独立したものとして、それはそれの価値として継承しなくてはならないものだということを自覚しているひとたちが、わが「文化国家日本」にどれだけいるでしょうか。

これは、なによりもあの通路の「大家」でかつ日本を代表する大企業である東日本キオスクとJRに、ぶっつけなくてはならない疑問でしょうが、どうもそれら企業とわたしたちの精神状態は、似たり寄ったりだと思わざるをえない。法律にヨワイ、文化のなんたるか、わかったような顔してわかっていない。わたしが、コシャクなフラスン人に言われて思ったのは、このことでした。それから、わたしなりにできることはしてきたつもりですが、なんとも力およばず、このような結果になってしまいました。

いろいろご理解ご協力くださったかたに、あらためてお礼申し上げます。


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