普通の食事をとりもどしたい

(2002年8月3日記)

1971年の秋に、おれは企画会社へ転職し「食品のマーケティング」といわれる分野に関わって仕事をするようになった。ちょうどそのころから、それまであった普段の家庭の食事、フツーの食事を「貧乏くさい」「古くさい」[低レベル」と、軽蔑し棄て、ファミレスやファーストフードやフラメシ、イタメシ、エスニックあるいは懐石料理、つまりは「豊で」「ナウイ」「上質の」、グルメという流行を追いかける時代でもあった。

とくに1970年の万博以後は、社会全体が、そういう非日常的なイベント的な刺激、変わった突出した衝撃的な新しいことを求めて、とにかく従来この地にあった普通のものことを否定し超えるものであればなんでもいいといった調子で、走り続けてきたといえるだろう。

うーむ、辛ければいい「激辛ブーム」なんていうのも、その結末かもしれないなあ。それからそれから、この地の黄色いカレーライスを軽蔑しインドのカレーライス風のものを「元祖」「本物」であると崇拝する風潮なども、そういうことのあらわれなのだなあ。

で、まあ、今回の散歩の達人ブックス「東京定食屋ブック」を見て、しみじみ思ったのだが。新聞テレビ雑誌、流行を追いかける情報は過剰に多いのに、この本のように、フツーの日常フツーの食事を大事にするための情報は極端に少ないということだ。

流行を追いかけてドタバタせずに、また気どることなく平静に、自分の生活の基本を大事にしたいものだなあ。と思ったことであるよ。

基本は、ただ基本なのであって、貧乏くさいかどうか、上品か下品か、新しいか古いか、老舗だ、正統だ、元祖だ、といったことなどは関係ないのだ。流行を追いかけているうちに、そのへんの感覚が狂ったように思うよ。

もっと自分の日常を見つめなおしたい。大衆食堂でめし食べながらね。大衆食堂にあるのは、終生かわることのない友達のような、生活の基本であるはずなのだ。そういうことを、もっと愛しみ大事にする感覚をとりもどしたいものであるよ。しみじみ、そう思うね。


メシゴト雑記事項索引