月島でもんじゃを食べまくったのだ


(03年9月7日版)

やはり東京のコナモンといえば「もんじゃ焼き」、これをはずすわけにはいきません。小さなコテでコテコテやりながら食べるユニークな食べ物。

6月某日。われわれ一行は「月島もんじゃタウン」のなかの「やじろべえ」で、もんじゃ焼きを食べまくった。企画から焼くまで一切の仕切りは、いまは墨田区内の中学校で教えているが、かつて月島中学の教壇にたち、もんじゃ焼きを食べまくった、「愛の社会科」で知られる教師Mさん。いやあ、なかなかの手つきだったし、オススメの店だけあって確かにうまかった。


中央区月島3-17-5 やじろべえ(ここは本店で、近くに支店もある)

おれが初めてもんじゃ焼きを食べたのは、1972年の秋じゃなかったかと思う。そのとき初めて、いま「月島もんじゃタウン」といわれている地域に行ったのだ。当時は、いかにも貧乏臭い生業の店が並ぶ、しかしどことなくカクシャクとしている、ただのナントカ商店街だった。なかには駄菓子屋の片隅で食べさせるようなところもあったが、おれが連れられて入ったのは発刊間もない「an an」に載っていた、ちょっと落ち着ける座敷がある、古い民家風の店だった印象が残っている。名前は忘れた。

そのころから、月島にはよく行った。おれが担当するクライアントの大手水産会社にして食品会社の冷蔵倉庫や冷凍倉庫があったからだ。地下鉄はまだ通っていなかったから、隅田川を渡るにバスを使うしかなかった。高売上げの仕事の原価だからと会社のカネを使いタクシーで佃大橋や勝鬨橋を渡ること、たびたび。

そこいらへんは水産会社の大倉庫群であり、それが象徴する江戸から続いた隅田川河口の漁業の町は、時の流れの中でうらぶれ衰退しているかのような雰囲気が漂っていた。いま派手にもんじゃ焼き屋が並ぶあたりを歩いていると、一陣の風がふわふわと埃っぽく舞い、ああ、このコキタナイうらぶれた感じが、たまんなくいいね、の気分だった。そういや、そういう中で氷水をくったこともあったな。「下町情緒」は貧乏臭いだけでした。

ところがところが、ウォーターフロント開発以後というもの、大倉庫群は大きなオシャレなマンションやオフィスビルがそびえるところとなったのです。まったく様子は変わってしまい、なんといっても貧乏臭さがなくなった。もう商店街も「月島もんじゃタウン」テナことで、ガキのおやつだったようなものが、地域の目玉になっているわけです。

ま、いいじゃないですか。40軒?50軒?が、それぞれの味を競っているというわけです。ま、おしゃべりは、よいから見てもらいましょうか。

この日は何種類食べたのでしょうねえ。すごい食べました。

基本的には、「プレーンもんじゃ」500円、「プレーンお好み焼き」600円。これにトッピング「シーフード系」「お野菜系」「お肉系」「ピリ辛&薬味」「ボリュームUP(そば、もち、チーズなどですが)」などあって、好きなものをチョイスする方法。

それと、すでにお店のほうで組み合わせセットにしてある「定番メニュー」に「オリジナル」など。といったぐいあに、もうようするに、なんでも好きなもの混ぜてOKよという感じ。



これは、なんでしょうねえ、左はそばにシーフードという感じかな、右はチーズがついているサラミもあるし、ピザでしょう。このあと、これらを食べてから、ちがう2品か3品とりました。



焼いているのは中学教師のMさんです。まず左、具を全部鉄板の上にあけちゃいます。どんぶりに残るのは小麦粉ドロドロ汁です。

それからMさんは、とにかく具をぐちゃぐちゃに細かくしながら焼きます。これは、あとになってみると、それなりに良いのです。最後は小さなコテで、自分で好みのままにのばし焼いて食べるわけですから、このとき具は細かくごちゃごちゃになっていたほうがいいし、そもそもそのことでダシが小麦粉によくまわることになり味がよくなると思うのであります。



具がしなしなしてよい感じになったころ、どんぶりの小麦粉ドロドロ汁に味をつけます。左はウスターソースを入れているところです。味つけはいろいろ勝手にやります。そして右のようにかけますね。楽しいですね、うまそうですね、ヨダレがでます。

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