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ヨッ大衆食堂 東京編  かんだ食堂



(2019年11月6日掲載)

2018年3月24日(土)で閉店。秋葉原駅そば、千代田区外神田4-4-9 角豊前川ビル1階にあった。ビルオーナーがビル売却のため閉店退去。

東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂」17年1月20日掲載。同年6月、京阪神エルマガジン社発行の『みんなの神田 神保町 お茶の水』でも取材し書いた。
取材のときは、昭和34(1959)年開業と聞いたのだが、閉店を知らせる貼り紙には、「昭和三十三年開店以来/五十九年余りに渡り/お引き立て頂きまして/ありがとうございます」とあった。ま、半世紀以上前のことだから、記憶もあやふやだったのだろう。

かんだ食堂と秋葉原駅のあいだには、「やっちゃば」とよばれる神田青果市場があった。この場所に移ってきたのは、同じ神田地域で江戸期から続いた市場が関東大震災で被災したからで、昭和3(1928)年のことだった。秋葉原駅のホームから「やっちゃば」が見える時代が長くあったし、威勢のよい「下町」の象徴のような存在だったが、1988年に閉鎖、1990年に大田区へ移転、跡地は現在の秋葉原UDXになった。

「やっちゃば」と共にあったかんだ食堂の店主は、そこが閉鎖し大田区へ移転したころを「暗黒の時代」と振り返った。店主は、この土地で生まれ、この地域の学校を出て、いまもこの地域に住んでいる。

秋葉原UDXができても、アキバは中小の会社や事業所が多く、そこで働く人やお客さんが多い街なのだ。秋葉原UDXの隣にあって、ビジュアルも規模もUDXとは対極のかんだ食堂は、客が途切れることなく繁盛していた。混んでいるときは背中と両隣が押し合うように座って飲み食いし、猥雑で力強さにあふれていた。

店主は、キッパリ、言った。

「ここは、アキバで働く人の店」

その言葉は、尊い。

しかし、残念ながら、街は、そこに生きている人たちのものではなく、地主や行政のものになっている。「不動産」というビジネスがはびこり、生活の場であるはずの街を、産業化し市場化し、津波のように生活をのみこんでいく。ということが、近年ますます明らかになっている東京だ。

この土地で生まれ育ち、この土地に根をはって生き、この土地で働く人びに愛され生きてきたかんだ食堂は、姿を消すことになった。

カウンターでめしを食っていると、ときどき近所の高齢の人が隣に座って、カウンター越しに食堂の人と話をしていた。あたりには中小のビルが多いのだが、中には、この土地で生まれ育った人が、その場所での商売から引退しても土地から離れることなく、ビルオーナーになって住んでいた。その人たちが、わずかに残る昔の知り合いがいるかんだ食堂に来て、おしゃべりをしながらめしを食べるのだ。
その中小のビルも買収され、大きなビルに「再開発」される。

特筆すべきはカレーライスだった。写真を撮っておかなかったのが悔やまれる。まさに昔の、小麦粉の黄色いカレーライスで、しかも、それが、ゴトッとタップリ、帽子のようにライスの上にのっていた。